« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月31日 (水)

民主党は野党批判ができるのか

参院で首相の所信表明演説ができなかった異常事態について民主党が野党批判を強めている。輿石幹事長は「本当にこんなことがまかり通っていいのか。国会の責任を放棄した(野党の)行為はあるべからざる恥だ」と怒り心頭だ。確かに何もなくて一方的にこんなことになったなら野党は全員切腹ものだ。

 

だが、ことここに至ったのには流れがある。その過程で誰が咎められるべきだったかということが大事だ。今、目の前のことだけをもって論じたら、やり得になってしまう。横車を押してきた者が問われることなく生き延びてしまう。つまり、参院で首相が所信表明演説をやれなかったことも野党が代表質問を断念せざるを得なかったのもその責任は民主党にあるということだ。切腹すべき者が小刀でなく「伝家の宝刀」(解散権)を抱えて逃げ回っているからだ。

 

民主党は自らが演じてきた乱暴な「力ずくの政治」を思い起こすべきだ。2007年参院選で大勝して衆参ねじれを引き寄せると、当時の小沢一郎代表は「ねじれは国民からの政権交代のお墨付きだ」と公言し、「良識の府」たる参院を「政局の府」に貶め、ことごとく法案をつぶし、安倍政権を揺さぶった。武藤敏郎元大蔵次官の日銀総裁人事を半年間にわたって棚ざらしにし、米軍を中心とするテロ対策活動にインド洋上で給油支援する法の延長をつぶし、国際社会の信用を失墜させた。安倍首相はあこぎな小沢民主党の揺さぶりに苦しみ神経性の内臓疾患を発症し退陣に追い込まれた。

 

「私には興味のない法案だ」と捨てゼリフを残し、法案の採決を前にした国会を放り出し、大阪府知事選挙の遊説に出かける小沢代表を民主党員はご覧になっただろう。その後2,009年衆院選は「ばらまきマニフェスト」とメディアの応援で圧勝、政権を奪った。しかし、そのマニフェストはほとんど実現できない。早期に解散して政権の正統性を問い直す―それが信義を重んずる国会なら当然だった。それをノラリクラリと口先でたぶらかしながら政権にすがりついてきたのが民主党だ。特に野田首相の不誠実さは政治家である前に1人の人間としても受け入れられないだろう。

 

解散権を盾にして遮二無二逃げ回る姿はもはや一国のリーダーとは呼べない。そこに目をつぶってきたメディアが今、野党の行いを子どもの喧嘩だ、参院を貶める行為だといって扱き下ろしている。言うに事欠いて野党に器の大きさを見せたらどうかという。何がこわいのか知らないが、小沢代表による横車政治を何一つ批判することもできず、やるがままながめていたメディアが人が変わったように野党をたたきまわる。当の小沢氏は今や党を出て縁もゆかりもない政党の代表だから咎めても仕方がないというのだろうか。

報復の応酬はむなしい。私たちは政治家たるもの、まずは信義、正義に立脚することを心から願わずにはいられない。

 

川柳「朝囀」 剥がしたい 仏面の下 鬼の面    (誠)

 

 

2012年10月30日 (火)

初仕事大チョンボ、原子力規制委

これだものなあ…安心して任せられないよ。地方自治体は一斉にそんな声をあげている。原子力の安全対策を一元的に管理するといってスタートした原子力規制委員会が初の大仕事として発表した放射能の拡散予測結果に間違いが見つかり、わずか4日で訂正となった。何が原子力安全の砦(とりで)ですか。顔を洗って出直せ!

 

24日に規制委員会が発表した放射能の拡散予測というのは今後、原発周辺の自治体が原発防災対策を立てる時の重要な基礎データだ。それが間違っていたのでは防災対策どころか住民を放射能の中に放り込むようなものになってしまう。

予測計算をする際に風向きのデータのコード番号の入力を間違え、拡散の方位がずれてしまったという。北向きに拡散するはずが南向きになってしまったというような極端な間違いではないが、地図上の1ミリ、2ミリが実際には何キロというズレになるのだから些細な過ちとは言えない。

 

拡散予測の基軸になった1週間当たりの被曝線量が100㍉シーベルトになる距離についても間違えているという。予測結果の発表を受け自治体は地図の上で「市域の半分は危険になるぞ!」「病院も学校も被曝を免れるな」などと一喜一憂したばかりだが、それも規制委員会の大チョンボに振り回されて終わった。こんな状態ではこれからやる規制委員会の仕事に信用・信頼は寄せられないだろう。それも外部から指摘されるまで規制委員会として間違いにも気づかなかったというのだからお粗末だ。

 

間違いを発見したのはどこだと思いますか。北陸電力だった。つまり、規制委員会の指導・監督を受ける側から「方位がズレている」「間違ってますよ」と指摘されたのだ。先生が生徒から間違いを指摘されたようなものだ。規制委員会は予測計算を委託した外部機構が間違えたといっているが、一番手のかかる部分は他人任せだという裏がこぼれ出てしまったのではないか。要するに役所がよくやる「外郭任せ」「丸投げ」がバレてしまったのではないか。指摘が当たっていないことを祈るのみだ。

 

こんな状態じゃあ国の原子力政策は信じられない。原発の再稼働をめぐって内閣と政府と規制委員会が責任の押し付け合いを演じているが、ますます任せられなくなった。野田首相は規制委が安全と判断した上で再稼働させると政治判断の方針を示しているが、その規制委が安全を判断できるのか。その判断を信じられるのか。前原国家戦略相は、政府は再稼働の是非は判断しないと逃げている。ここはもう現政権には任せられない。民主党は1日も早く下野し、原子力政策は次の政権に任せる方がいい。

 

川柳「朝囀」 実力が ありそでなさそ 権威すじ    (誠)

2012年10月29日 (月)

言葉に酔いすぎだ首相演説

所信表明演説の評論はやめようと決めていたが、29日の野田首相の美辞麗句に酔った演説を聞いてひと言書かざるを得ない気持ちになった。「明日への責任」を柱に立てた実にうまい構成だ。文章だけは誰にも負けないぞという秘書官の手によるものだろう。すべてが首相の思いを具現したものだと考えると間違う。

 

その柱立てにした「明日への責任」が演説すべてをウソッぽいものにしてしまった。だって、野田さんが首相になってから一番口にしている言葉と言ったら「責任」だ。しかもただの一度として取ったことがないのが責任だ。たちあがれ日本の片山虎之助元総務相が国会の予算委員会で首相に向かって「あなたねえ、責任を感じている…たたびたびおっしゃるけど、責任は感じるものじゃなく、取るものなんです」と形相変えて追及したことがある。そのことをまず思い出した。

 

それに演説そのものが勘違いで組み立てられているが、大切なのは明日への責任じゃなく、今、目の前にある問題や課題に対してどう責任を取るのかということなんです。演説を起案した秘書官も恐らく、今よりも明日とした方が夢がある、野田首相も大好きな言葉である「ぬくもり」を表現できると考えたのだろう。所信表明はその言葉通り目の前に突き付けられている課題にどう取り組むかを示すものだ。昨年9月の所信表明と同じだなんていうのはふざけた話なんです。

 

明日って言うもんだから浮いたような話になっちゃって、「私はこうします」「私はこうして問題を解決します」と言う話がどこにも出てこない。美辞麗句が多すぎることも手伝って歯が浮くような話になっている。「何とか、かんとかではありませんか」「何とか、かんとかしてほしいのです」あるいは「何とか、かんとかしようではありませんか」と呼び掛け調が目立っている。「決められる政治」を標榜しながら最後まで何とかしていただけませんかという他力本願の演説になってしまった。

 

それでも「(国民の)皆さんが願うのは党派対立が繰り返され、大局よりも政局ばかりを優先してしまう政治なのでしょうか」と気の利いたことを言い出したと思ったら、野党に世論の批判を向かわせる戦略であることがバレてしまったのは笑止だ。

夕日の美しさに感動できる日本人、ぬくもりがあふれる平和で豊かな日本、子や孫たちのために…と詩集から切り取ってきたような言葉で埋められ、沖縄のオスプレイ配備、米兵に暴行された女性の問題など肝心なことにはひと言もなく、それが演説そのものをウソっぽく、首相の不誠実さを際立たせていた。

 

解散についてひと言も触れないというのは自らそこが一番の弱みであることを意識しているからだろう。「総理大臣の侵すべからざる権限」といわれる解散権を武器にしてズルズルと延命戦略を取っているが、解散に追い込まれる事態も現実味を持ち始めている。そういう危うさを感じてそっとして通ろうとしたのだろう。

いずれにしろ私たちはもう言葉の先だけでもてあそぶ政治を見せられ過ぎた。そのたびにむなしい思いをしてきた。政治が嫌いになったと言い切る人だっている。首相にはそういう声を聞いてもらいたい。そういう人たちに届く演説をしてほしい。

 

川柳「朝囀」 美辞麗句 人の影さえ 抜け落ちる    (誠)

「予知不可能」を敗北宣言にするな

日本地震学会が地震の予知は不可能だという見解を公にし、情報としては予想の範囲にとどめることを決めた。「地震は予知できる」ということを前提に進められてきた東海地震対策だが、予知された地震は一つもないのが現実であり、学会の見解が変わっても私たちの地震への備えはいささかも変わらない。騒ぎ立てる必要はない。

 

地震学会の意向を推測するならば、くり返すが現実に予知された地震はなかったし、「地震は予知できる」という誤解を引きずっていられては困るという思いだろう。東日本大震災は現実に予知できなかったし、専門家が想定さえできなかったマグニチュード9・0という規模だったということを考えればそれも仕方がない。学会もそれを素直に受け入れざるを得なかったということだろう。善意に解釈すれば「学者の良心」といえなくもないが、敗北宣言になってしまう可能性もある。

 

そうした学会の判断に楯突くわけではないが、今回の見解転換が地震予知への挑戦を後退させてしまうことのないよう注文しておきたい。これまでの東海地震対策の予知への取り組みが無駄だったとか、無意味だったとかいう空気につなげないでほしい。「あす起きても不思議でない」とする“石橋学説”の発表以来、気象庁を中心に進められてきた地震予知への取り組みは観測技術の向上やツールの開発進歩に功績を残したし、研究者を育て、国民の地震に関する知識の底上げにもつながった。

 

確かに東海地震説から30年あまりを経ても予知に成功した例はないのだから、「予知はできる」とは学会としても言えないのだろう。「いつ」「どこで」「どれだけの規模で」地震が起きるという予知はできないが、予想はできるという学会の説明も一つ分かりにくい。ただ、「予知できる」という認識を引きずりたくないというところに逃げの姿勢を感じる。予想と予知を使い分けるというのも言葉でいうほど簡単ではないだろう。

 

五十歩譲って予想という概念を受け入れるにしても、それは予知をめざして取り組む結果として得られるものだろう。東日本大震災は予想を超えた規模の地震だったというより専門家が恐れて想定しなかった地震規模だったのではないか。「取り返しがつかないような規模の災害が起きる可能性」というのは予知でも予想でもないが、専門家はそういう想起を恐れてはならないと考える。自然科学、とりわけ震災、災害研究と取り組む者は厳しい自然の摂理から逃げてはならない。

 

私たちは東海地震説の発表以来、地震への備えをおろそかにしたことはない。ましてや「地震は予知できる」と信じ切ってきたわけではない。予兆も前ぶれもなくやってくる悪夢を心において備えてきた。学会の方針が変ったからといって心構えを変える必要もない。

イタリアで死者300人余を出したラクイラ地震で地震学者や行政当局者7人が過失致死罪の有罪判決を受けたことが騒ぎになっているが、地震学者の判断が曖昧だったことと行政責任者が「家にとどまっていていい」という勝手な判断を示した「過ち」が問われたもので、今回の日本地震学会の方針転換とは同じ線上の問題ではない。

一番恐れることは日本の地震学会や専門家、研究者がいつしか「地震予知はできない」という認識で固まってしまい、これまで先達たちが残した予知研究の蓄積がホコリをかぶってしまうことだ。

 

川柳「朝囀」 シナリオに ないから緊張 するのです    (誠)

 

 

 

2012年10月26日 (金)

悲喜こもごもの「18歳」

プロ野球界は冷酷なところだな。今年もそんな思いでドラフト会議を見守った。やっぱり何か割り切れないものばかりが残った。大人は、ルールだ、規則だというだろうが、相手は18歳という、まだ未熟な存在だ。大きな夢もあるけど萎んでしまうかもしれないという不安も抱えている。

 

その未熟な若者に大人が値札をつけて競り落とす。値札の額は分からないにしても競り落としてくれた先が自分の願ったところなら万々歳だが、気に入らないところなら闇だ。人生なんてそんなものだ。自分の思いなんてほとんど届かないのが実社会なんだ。人生はあきらめが大切なんだ。大人はそんなことを言う。社会の入口でもう「あきらめろ」なんてひどいことを言う。残酷過ぎないだろうか。

 

嫌いなところには行きたくない。それを貫くなら浪人するか、いったん不本意入団した後でトレードに出してもらうしかない。それもかなわなければあきらめるか、野球人としての選択を断ち切るしかない。もっとも、世の同じ世代の若者たちはもっともっと厳しい選択を迫られている。働く場さえ得るのに苦労している。人生設計さえを描くことができない。不本意でも何とか自分に言い聞かせて働き場を確保し人生をスタートさせる。

 

彼らには高い値札と競り札なんかつけられることもない。たとえは悪いが人買いのような格好で引き取られる。入社拒否なんかしたら二度と人買い人は相手にしてくれない。優れた技能をもって将来の日本プロ野球界を担うことになる逸材たちと何の取り柄もない雑魚たちとは違うんだ…そういわれるだろう。でも、同じ18歳だ。社会を背負う人材としてはそんなに違いはない。大化けする人材だっている。

 

もちろん「選ばれた逸材たち」が順調に成長して金字塔を打ち立てることを願う。大リーグ挑戦の意向を表明している花巻東高の大谷翔平君には初志を貫かせてやりたい。それでも1位に強行指名した日本ハムの栗山監督は何を考えているだ。怒りさえ感ずる。野球解説者としてドラフト制に疑問を投げかけ、「18歳」の一番の理解者であったはずなのに球団の論理を押し通した。大谷に苦悩を与えこそすれ前途を励ますことにはならない。

 

相思相愛というか、期待通りに阪神に交渉権を引き当ててもらった大阪桐蔭高、藤浪晋太郎君の第一声にもびっくりした。決まった球団に行くのが運命と控えめな喜びだったが、目標を聞かれると「引退試合をしてもらえるような選手」と答えた。自分で引退を決められる選手。そのためには結果を残さなければならない。人間的にも尊敬されてこそファンに送ってもらえる…口をついて出る言葉は、もう自分の野球人生の終わり方についてだった。そこまで「18歳」を追い込んでいることを野球界は知るべきだ。

 

川柳「朝囀」 「18」を あげたり下げたり 野球拳    ()

2012年10月25日 (木)

石原新党旗揚げの理由はこれだ!

一度言い出したら誰が何を言ったって聞く耳を持たないご仁だもの、時間の問題だと思っていたから驚きはしない。石原慎太郎東京都知事の辞職と新党結成、次期衆院選出馬のことです。なぜ今か?ですか。そりゃあ決まってるでしょう。長男、伸晃前自民党幹事長が谷垣禎一前総裁を引きずり降ろして総裁選に出馬したけども惨敗し、もう自民党にとどまっても総裁・首相の目はなくなった。

 

それなら新党を結成して長男も抱き込み、新しいの保守のリーダーへの道を目指させる方が早いと考えたからだ。人にはきびしいことを言ってもわが子のことになると話は別でなりふり構わずというところでしょうね。親ばかチャンリンということもあるが、80歳の大台を超え「虎の威」をひけらかすのもそろそろ限界かな…そんな判断が働いたのだろう。新党結成には「年齢と健康が壁だ」と言っていたが医師から「健康」のご託宣をもらってやる気になったようだ。

 

石原氏は尖閣諸島をめぐって「国による購入、国有化では国にひどい目にあっている。中国の強硬姿勢も許せない」と語り、国政復帰の背景に尖閣問題があるようにほのめかしているが、それは決定的な理由ではない。立ち上がれ日本の平沼代表らと政界の再編に向けて進めていた協議を今年4月にはいったん白紙状態に戻していたのも、その後、尖閣購入問題に専念するといってなりをひそめていたのも、自民党総裁選と伸晃氏の盛衰を見はからっていたからだ。

 

石原氏は自ら次期衆院選の比例代表で立候補するつもりであることを発表した。そして立ち上がれ日本の塾生30人~40人が有力な候補者になって戦うと言っている。石原氏が自ら比例代表に出て戦うというのはその知名度や過去の選挙での集票力に自信を持っているからだろう。しかし、選挙民も世代が大幅に代わり、石原氏がその知名度と独特な個性でどこまで票を集められるかは予断を許さない。

 

いずれにしろ石原氏は大阪の橋下市長が率いる「日本維新の会」と連携することを公言しており、自民党、民主党の二大政党に絡む「第三極」としての存在が急速に現実味を持つことになった。次期衆院選は底流に政界再編の大きな流れを抱えながら進むことになる。

橋本「維新新党」が今一つ政策や信条がはっきりしない中で投票先をどこにしたらいいのか迷っていた有権者にとっては一つ選択肢が増えたとみることもできる。もう一つ、この石原新党構想の打ち上げが一気に国会解散を速めることになるのではないか。

 

それにしても石原氏がポロっとこぼした言葉が気になった。自分が辞職した後の知事候補について「猪瀬さんで十分だと思う」といったひと言だ。「十分だ」とは何だ。後で優秀な副知事だとフォローはしているが、東京都知事は猪瀬さん程度で十分だ…そういう意味に聞こえるではないか。最初から最後まで強気に酔った文筆家知事でしたね。

 

 

川柳「朝囀」 親ばかが わが子かわいさ 大ばくち    ()

 

 

自民党の意気地なし!

自民党はまた何をやろうとしているのだろう。野田首相と輿石幹事長が演出する「延命回り舞台」に乗り込もうとしている。散々引っ張り回されてくやしい思いをしてきたのにまたまた自分から術中にはまろうとしている。審議参加に方針転換だって。

お人好しというか意気地なしと言うか、あきれてしまう。そんなことでは国民の信頼を回復することはもちろん政権復帰なんかできるわけない。

 

29日に召集予定の臨時国会では野田首相が衆院の解散を表明しない限り審議に応じないとしてきた。当然じゃないか。これだけ重要な政治課題を放置し、ただ政権の延命だけにこだわり続ける野田政権に国民の怒りは頂点に達している。報道機関の世論調査で内閣の支持率が軒並み20%を割り込んで末期的状況にあることで明らかだろう。それはまだ10人中2人が支持しているのだから、国会審議を拒否すれば文句は出るだろう。

 

だが、多くの国民は今の野田政権の独り善がりな政治を快しとしていない。それを実質的にゆるしている野党の無力さにむしろ失望する人たちが増えている。それが世論調査結果における「支持政党なし」の数字を上げているのだ。そんなことも分からないのだろうか。それは国会は国民の生活に大切な政策を論じ、国力の増強や国土の発展を論じ合うところだ。審議を拒否するのは本来の姿ではない。

 

しかし、それはあくまでも与野党が真摯に胸襟を開き信頼があっての話だ。最初から野党を口先であやつり、ペテン師だか詐欺師のように騙し続ける民主党政権ではそれは通用しない。元々、政権を奪うために仕組まれた「ばらまきマニフェスト」がバレた時に解散して政権の問い直しをすべきだったのに、それを拒否して政権にしがみついてきたのが民主党だ。このままでは年内どころか解散なしの任期満了まで引っ張られる。

 

2012年度予算の執行に必要な公債発行特例法など重要案件を早期に成立させることは大切なことだ。国民生活に影響も大きいし、現実に地方自治体の財政運営に影響が出ている。だから、その審議を拒否すれば国民の批判はないとは言えない。

だが、そこを政権延命のよりどころにしている野田政権を許せば重要政策課題をことごとく人質にして「解散権」を乱用させることになる。むしろ重要政策課題を解決できないでいることは野田政権の不誠実さによるものだと国民に印象付けることが大切だ。

 

現実に野田首相自身が「公債発行特例法(の成立)が解散の条件ではない」と言っているではないか。審議に応じ、成立させたところで年内解散の環境づくりになるわけがない。こう出れば解散してくれるだろう、こう協力すれば解散の確約が取れるだろう…そんな期待は野田首相に裏切られてきたのにまた同じことをやるのか。

そうじゃない。尖閣の国有化による混乱、閣僚人事の失敗、増税偏光政策、オスプレイ配備問題、経済無策…失政だらけの政権を攻めあげて「解散に追い込む」のだ。協力すればなびく…そんな人間味のある野田首相じゃない。

 

川柳「朝囀」 あと一歩 手前でいつも 尻込みだ     ()

2012年10月24日 (水)

月もコオロギも被災地を応援している

ひんやりとした空気が心地良く感じられると思ったら朝夕は寒さを感じる。季節のうつろいを惜しむように夜の庭ではコオロギが美しい声を響かせている。澄んだ空気が鳴き声を一段と美しくしている。オスの前翅(まえばね)に発音器があって、それをこすり合わせて鳴くのだそうだ。からだが楽器だなんて神秘ではありませんか。

 

私たちの近くにいる演奏家はオカメコオロギやエンマコオロギだが、昔はコオロギを「キリギリス」と呼んだこと知ってますか。詩や俳句の世界では秋に鳴く虫を総称して「コオロギ」と呼んだそうです。空を見上げれば、中空に月が浮かんで見えます。澄みきった空気を際立たせるようにくっきりと浮かんでいます。月齢を重ねるのが速い…日に日に満月に近づいています。鋭くシャープな弓型はかげをひそめてしまいました。

 

若いころはコオロギの鳴き声が美しいだの月が神々しいだなんてシャレてる暇はなかった。働きづめだった。坂本九ちゃんは「♪上を向いて歩こう」と歌った。菅原都々子さんは「♪月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」と歌った。働き通しの疲れたからだと心を慰めてあげよう…と歌ったんだろう。しがない新聞記者だった私はなぜかこの初秋の候と事件の張り込み取材が重なって思い出される。

 

犯人…今はそう呼ばない…容疑者と呼ぶが、その容疑者が立ち回りそうな先を電柱の陰や生け垣の中で張り込んで待つんです。記者に逮捕権があるわけではないから、望遠レンズで写真を撮ったり、誰と接触するかを確かめるくらいしかできないが、それが記者教育の一つだった。犬にほえられ、住人に交番へ通報され職務質問されるということもあった。その深夜の張り込み取材はなぜかこの初秋のころが多かった。

 

生け垣の中で聞いたコオロギの声や電柱の陰から見た月光が記憶のすみに残っている。いやな張り込み取材のお蔭ということになる。世の働きバチたちも今はコオロギだ月だなんて言っているゆとりはないだろう。激務と安月給にコオロギならぬ、自分が泣いている。でも、「♪涙の数だけ強くなれるよ」っていう歌もある。「♪見上げてごらん夜の星を、小さな星を、小さな幸せを…」って坂本九ちゃんの歌が聞こえてくる。

 

小さな幸せ…って言えば、気がかりは東日本大震災の被災地の人々のことだ。間もなく冬将軍がやってくる。もう、暖炉に火を入れただろうか。不自由な仮設暮らしはつらいでしょう。仮設暮らし同士で励まし合い、声掛け運動を始めたという話を聞きました。老人家庭や独居老人家庭への巡回運動の話も聞きました。日曜、祭日、それもお義理でやってくる国会議員なんかアテにはならない。つらいけど地域で助け合うしかないんです。

 

復興予算のいい加減な使いよう、あきれてしまいます。復興増税、復興増税…って国会で騒いだけど、何のことはない。被災地のみなさんをダシにして税金を掻き集めたんです。それを被災地と関係ないことに使うなんて許せない。現政権の欺瞞的体質そのものです。

でも、コオロギもお月さんもみなさんを応援しています。私たちもちゃんと見ています。今度こそ本当に被災地のことを考える政治家や政党を選び出します。私はささやかながらブログで応援します。もう少しです、頑張ってください。

このブログが震災地の皆さんに届くといいなあ…

 

川柳「朝囀」 愛の声 虫の音に聞く 月夜かな    (誠)

ぐずぐず言わず早く責任取れ

国民は説明責任の説明を聞きたいのではない。野田首相、あなたがその責任をどういう形で具体的に表わすのかを知りたいだけだ。もう、あなたの説明調の話なんて聞きたくもない。はっきり言って、もう、あなたが一国のリーダーとして政治をやっているようには見えない。背広に金バッジをつけたブリキのおもちゃみたいだ。

 

「任命責任は私にある」。壊れたレコード版のようにあなたほど「責任」という言葉を口にする政治家はいない。新聞、テレビもそれ以上に追及しない。だから、責任をとったタメシがない。鉢呂経産大臣が福島の原発事故被災地を視察して「人っ子ひとりいない死んだ町」発言で辞任した時も一川防衛大臣、田中直紀防衛大臣らのお粗末答弁に対する問責決議の時も「任命責任は私にある」と言ったきりで終わっちゃった。

 

確か鉢呂経産大臣の舌禍の時だと記憶しているが、国会で立ち上がれ日本の片山虎之助議員が「責任は感ずるものじゃなく、取るもんです」と皮肉いっぱいにあなたを追及してましたが、あなたは本当に責任の取り方を知らないんですね。あるいは口先で「責任は私にある」ということで責任を取ったことになると考えているんですか。今度だって「内閣全体で職務に邁進することで責任を果たしたい」といってるけど、あなたの責任が問われているのに内閣で分散して取るようなことを平気で言っている。

 

ぶら下がり記者たちも少し考えて質問や取材をしてほしいね。任命責任を首相が認めたら、どんな形でそれを示すのか厳しく追及すべきだ。内閣全体で職務に邁進するのは当然のことで、それは首相自身に求められている責任の取り方ではないとなぜ食いつかないのだ。それどころか先走って後釜を誰にするのかなんていう質問をするから、そっちに逃げられてしまう。首相や大臣の逃げ道を作っているのは新聞、テレビ、それも一番近くで接しているぶら下がり記者たちではないか。

 

その逃げ道の話だが、後釜は何と前任者の滝実氏だというではないか。おかしいと思いませんか。滝氏は改造内閣で代えられたんです。内閣改造のスローガンは何だったか記者のみなさん覚えてますか。「内閣機能強化」って首相は言ってました。皆さんもそう報道しましたね。より強化するために代えた田中氏がお話にならないから元の滝氏に戻した。暴力団と仲良しで外国人から違法献金をもらっていた人が滝氏より優れているという首相の人間評価の眼力は腐ってますよ。それを追及してくださいよ。

 

いつまでも首相の椅子にすがりついている気はありません。首相はそうおっしゃってますが、やっていることはまるで違いますね。あなたを信じているのかどうか知りませんがいつまでも「早期解散を」なんて言い寄っている野党もおかしいけど、口先でもてあそびズルズル引っ張っている首相、あなたはもう人間としての信頼を国民から失ってしまったんですよ。最初の「ドジョウのように泥をかぶってやる」話はよかったのに、なぜ途中から言葉やポーズを装った「金魚」になっちゃたんですか。

もう、いいでしょう。そろそろ解散して真の政権を国民に選んでもらった方がいい。

 

川柳「朝囀」 秋の風 「責任」と「倒閣」が 鬼ごっこ     ()

 

 

2012年10月23日 (火)

このまま葬るのか原発県民条例

川勝平太静岡県知事が22日の定例会見で、浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案の修正案を次の12月県議会に提出しない考えを明らかにした。先の9月県会で否決されたものの一部超党派議員が提出した修正案を「原発立地県の基準になる」と評価し、自ら修正案の再提出をほのめかしていたのに、なぜ変わったんだろう。

 

条例制定を求める原案提出者の市民団体「原発県民投票静岡」(共同代表者、鈴木望・元磐田市長)は、修正案が知事の評価を得たことを好感し、知事自身による修正案を県議会に再提出するよう求めていた。自ら修正案の提出をしない理由を知事は「(市民団体の代表者に)疑義を持っている。疑義のある人の要請を受け入れることはできない」「反省の弁がない」「県議から賛成を得られなかった原案に対する反省がない」などと説明した。

 

16万5千人もの署名を集めたのにその処理は思惑の違いや憎しみ合いの中で進められてしまったのか…という思いを抱かざるを得ない。知事は住民投票の実施に賛意を表明して原案を9月県議会に提出した。原案に10項目を超える不備があることが判明したが、知事自身が修正の上で可決するよう県議会側に要請していた。

ところが、県議会の審査で参考人として意見を求められた鈴木代表の「修正が前提の原案だ」という発言などをめぐって県議会側が硬化したようだ。

 

その板挟みになるような格好で鈴木代表に対する知事の失望と不信感が強まったのではないか。鈴木代表に対して「県議会の賛同を得られなかったことに対して反省がない」「責任をとっていない」という厳しい批判をしているのはそのあたりを物語っている。賛同者だった知事を反対者側に回してしまったことは市民団体側の戦術の失敗というしかない。鈴木代表が「知事が本当に条例を成立させたかったのかどうか疑わしい」などという発言を繰り返すのでは望みを断たれてしまう。

 

ただ、問題はそういう次元で片づけていいテーマかどうかということだ。国民の1人、少なくとも原発立地県の県民、市民の1人として未曾有の結果をもたらす原発事故への備えやその利活用について意見を表明したいということに応える受け皿づくりだ。知事が当初、賛意を表明したのもそこにあったと受け止める。

ここは関係者すべてが冷静になって住民自治の基盤整備として真剣に考えるべきだ。誰が悪い、誰が原因者だという問題ではない。

 

市民団体が実施したインターネット調査では住民投票の実施を65・5%の県民が希望しており、先の県議会で住民投票を認めるべきだったという県民は74%に上っている。知事に条例案の提出を求める県民は60・2%もある。市民団体も県も県議会もこの数字を厳粛に受け止めるべきだ。

本欄は繰り返し主張してきたが、原発とどう向き合っていくかの意思表示は生存権の主張だ。誰にも権利がある。それを政党・会派、イデオロギー、ましてや感情の対立なんかで片づけてはならない。

 

川柳「朝囀」 理想論 砂漠に水と 笑うまい(誠)

前原さん、いつから総理に?

 

前原国家戦略担当大臣殿、あなたはいつから総理大臣になったんですか。「年明けに解散では『近いうち』とは言えない。総理は自分の言葉に責任を持つ、信義を守る方だと思う」などと述べた。その話は根拠があるんですか。

 

野田総理が自分の言葉に責任を持つ? 信義を守る? 皮肉ですか。そういう誠実な「野田さん」は全国に大勢いますが、あなたの知り合いはまるきり違いますよ。

 

 

 

あなたと仲の悪い同僚議員は火がついたように反応してますね。幹事長代行という重責について傲慢さが出てきた安住前財務大臣は「前原さんの発言は党で一致している感覚じゃない。総理が決める解散について周りがとやかくいうことはない」って吐き捨ててますね。体は小さいけど態度も言うことも大きいですね。藤村官房長官も「政権内で共有している話ではない。前原さんの個人的な考えだ」と不愉快そうでした。

 

 

 

あなたのライバルというか怨敵ですかね、岡田副総理に至っては犬の遠吠えのように批判するのじゃなく、直接、野田総理に電話をかけたそうです。「前原の言ってるように赤字国債発行法案の成立など条件が満たされれば解散に踏み切るのか?」ってすごい見幕で食いついたっていう話じゃないですか。

 

 

 

もちろん、野田総理は「いや、それは違う。別々の話だ」と大慌てで「解散条件」が独り歩きし始めたのに困った様子だったと周辺の話だ。あなたの無責任な発言は様々なところでわるさをし始めましたね。

 

 

 

前原さん、あなたはいつ総理になったのかって聞くのはもう一つ、それだけ党内を混乱させたらいったん鎮静化を図るのが閣僚の立場でしょ? それをあなたは発言からⅠ日経った昨日も、神戸で「野田総理は赤字国債発行法案などが成立すれば、年内の解散に踏み切る」と重ねて語ったそうじゃないですか。

 

 

 

あなたの信念かもしれませんが、なぜそんなにこだわるんですか。見立てが当たろうが、外れようが、解散総選挙になったら1人の落伍者もなく同僚が国会に戻ってこれる策を考えるのがあなたの役目でしょう。

 

 

 

あなたが「国会の審議を通して話し合っていけばおのずと(解散への)合意が得られる」なんていう話をしたから、大甘の石破自民党幹事長が「まさしくその通りだ」とひざをたたいたそうじゃありませんか。あなたの発言は「大物発言」だから党内不一致はないはずだ。党内でまとまった方針だと信じちゃったようです。

 

 

 

あなたは心中「しめしめ」と思っているでしょう。あなたのお見立て通り「年内解散」になる可能性が強いと思います。でも、それは追い込まれて「苦しまぎれの解散」でしょう。一部の東京紙の世論調査では内閣の支持率はとうとう20%の危険ラインを割ってしまいましたね。私たちから見ればまだそこまで支持率があるのが不思議です。解散すれば大半は戻ってこれない。だから、できるだけけ長く政権与党でいたい。そんなことで解散を先延ばししているというのでは総理の専権が泣いてしまいます。

 

 

 

川柳「朝囀」 いつからか あっちこっちに 野田総理   (誠)

 

2012年10月22日 (月)

マニフェストのいい加減さ忘れたか

合点がいかないから何度でも取り上げる。あれほど痛い目にあったマニフェストを次の衆院選でも続けるのか。廃止を全国運動にしようと訴えてきたが、何の動きも見えない。一体、どうしたんだ。民主党はどんどん作業を進めている。約束の大部分を実現できず、政権を騙し取った民主党のマニフェストをまともに信じて選挙をやるのか。

 

民主党が政権を奪った2009年衆院選マニフェストの中身と結果をおさらいしておこう。中学生まで子ども1人月2万6千円支給するといった「子ども手当」は、半額支給を1年やっただけで自・公政権時代の児童手当に戻った。農家の戸別所得補償は立法化できず、高速道路の無料化も予算計上できず、月額7万円の最低保障年金は具体化先送り、後期高齢者の医療制度の廃止は法案の国会提出を先送り…という具合だ。

 

実現できたのはただ一つ、高校授業料の無償化だけだ。やるべきをやらないでマニフェストになかった消費税率の引き上げ、TPP参加協議入りを強行するというチグハグぶりだ。予算の組み替えや無駄の洗い出しで16兆8千億円の財源をねん出できると豪語して始まったが予定が外れ、省庁・出先機関を公開処刑並みに事業仕分けで痛めつけたが絞り出せなかった。それから3年もたって「財源見通しに甘いところがあった」と野田首相は国会でしおらしいところを見せたが、すべてはおり込み済みなのだ。

 

最初から有権者を一網打尽にして政権を奪う方便だったことがバレた。「マニフェスト詐欺だ」とまで野党から扱き下ろされた。自民党は、国会を解散して政権の正統性を問い直すべきだと迫ったが、民主党は政権にしがみつき、ズルズルと延命策を続けている。この3年間というもの国会は政治らしい政治をやらず、早期解散をめぐる与・野党の駆け引きばかりが続いている。

 

そのていたらくでわが国の存在感は急速に弱まり、そこを突かれてアジアの隣国から領土・領海を侵犯されるというゆゆしき事態を招いている。諸外国との信頼関係は著しく後退し、人的、経済的交流は日に日に萎んで、この先の国力低下は避けられない。外交の何たるかも分からない未熟な井の中の野田政権は、強がりで押し切れると誤解してつまずき、その後始末を欧米に頼ろうとしている。本当はマニフェストどころではないのだ。

 

「財源の予測が外れることはよくある」「マニフェストは修正すればいい」と民主党政権をかばっていた新聞、テレビがようやく「マニフェストは約束と結果の整合性が大事だ」とまともなことを報道しはじめた。何をおっしゃるんですか。整合性だって? そりゃあ新聞、テレビの報道の整合性じゃないのか。なぜ、マニフェストが政権奪取の方便だとバレた時に国会を解散して政権の問い直しをしろと叫ばなかったんだ。何が怖いんだ。

 

今度のマニフェストづくりで「原発ゼロ」の方針や「TPP」の扱いをどうするか当惑しているそうだが、そのために「国民の声」を盾にしようというじゃないか。党内の離党予備軍が騒いだら「国民の声」だといって交わそうという腹だろう。それじゃあまたごまかしのマニフェストになるじゃないか。マニフェストが国民の信頼をつなぎ止めているとでもお考えですか。ウソの厚化粧ともいうべきマニフェスト選挙は遠からずこの国を破壊してしまう。マニフェスト選挙廃止を全国運動にしよう。

 

川柳「朝囀」 のど元を 過ぎもせぬのに 忘れてる  (誠)

 

2012年10月21日 (日)

また世襲候補騒ぎですか

正直、こんなことを書いてもどうにもならないかもしれない。書いたからって変わるわけではないし、最後は押し切られてしまうのだし、選挙区の人たちだってさして考え方が変わるわけでもなく、次々と世襲議員が誕生してしまう。

本当に答えがあったら教えてほしい。どうしたらいいか教えてほしい。

 

いきなり情けない話になってしまったが、次期衆院選に向けてまたぞろ世襲制が問題になっているからだ。だって、これまでに何十人、何百人の記者が、私もその一人として書き続けてきたが、改まってはいない。世論や批判の声が相当な勢いで追い詰めたこともあるが、うまいことを言って逃げられてしまった。公約にまでしながら時が過ぎればまた元の木阿弥ということになる。

 

次期衆院選に向けて引退の意向を表明している衆院議員とその後継に予定されているのは、自民党では福田康夫元首相が長男に、中川秀直元幹事長が次男に、武部勤元幹事長が長男に、大野功統元防衛庁長官が長男に、田野瀬良太郎元総務会長が次男にそれぞれ世襲させる方向で準備を進めている。民主党では今期限りで引退を表明している羽田孜元首相が長男で参院議員の羽田雄一国交相が後継者に取り沙汰されている。

 

まあ、世襲は地盤(支持基盤)・看板(知名度)・かばん(資金力)の「3ばん」をそっくり受け継ぐことになるのだから選挙ではずっと有利だ。極端なことを言えば名前だけを変えて出るわけだ。どう考えたってスタートラインで絶対的な優位に立って戦える。自民党が大惨敗で議席数が3分の1に激減した2009年衆院選で勝ち上がった議員の半数は世襲議員だったことを考えれば、世襲、非世襲の格差は計り知れない。

 

こんなことをしていれば選挙は楽だが党は活力を失っていくことになる。世論だって厳しい批判を募らせることは当然だ。このため自民党は2009年衆院選の公約に引退議員の配偶者や三親等以内の親族が立候補する場合は公認しないことを盛り込んだ。だが、それも間もなく候補者の公募に当たっては地縁・血縁者であることを考慮すべきだとして世襲制限を事実上、骨抜きにしてしまった。

 

今回も引退議員の選挙区では対立陣営ばかりか自民党内からも批判の声が強まっている。このため党本部は公募制に党員投票を加える方針を示した。公募に応じた人が1人でも党員投票を行うとする党本部に余計な手間と経費をかける必要はないと地方が反発している。結局、それも骨抜きされて世襲制がまかり通ることになるのは明らかだ。

確かに世襲でも親以上の政治家になっている人もいるし、世襲批判に便乗して当選してもお話にならない議員だっている。結局はそれを選ぶ選挙民、国民の選択眼にかかっているのであり、善玉か、悪玉か、しっかり調べて投票しよう。どうにもならない政治家を養うために税金を提供する人生なんてもうまっぴらだ。

 

川柳「朝囀」 金バッジ つなぐためには 息ひそめ    ()

2012年10月19日 (金)

もう攻めの一手しかない

 

自民党も公明党も作戦を変えるしかないでしょう。どんなに悔しがったって解散権を握ってるのは首相ですし、その首相が解散すると言わない限り任期いっぱいこのままでしょう。「早期解散を」「年内解散を」と首相にすがったってそれに応える気は微塵もないんですから、首相が解散に打って出るしかない状態に追い込むしか方法はないんです。攻めの一手しかありません。

 

首相は「近いうちに」(国民に信を問う)とした8月の3党首合意を「重く受け止める」というだけでは野党の同意を得られないと分かっている。党首会談では首相からもう少し具体的な提案があるでしょう。そう言って3党首会談に引き込んだのは輿石幹事長だ。

そんな話を聞かされれば誰だって「近いうち」から前進した話が出るだろうと思う。そこが甘いというのか。党首会談は野田・輿石のペテン師連合にもてあそばれた。結局、「早期」も「年内」も出て来ず、「解散の時期は明示できない」の一言で片づけられた。

 

幹事長会議の公式発言だものウソはないだろう。空手形はないだろう。安倍総裁も山口代表もそう信じて席に着いたから、ショックは大きかった。安倍総裁は「まったくお話にならない」と形相を変えて会場を後にした。温和で激しい言葉を発することはほとんどない山口代表も「国民をバカにしている」と怒った。

赤字国債発行法案、衆院の一票の格差是正などやるべきをやった後で国民の信を問いたい。国民に信を問うのにその時期を野党に教える必要はないとまで首相は言った。

 

 首相の言ってることに間違いはない。だが、ちょっと待った。政治というものは「力」でゴリ押しするだけではおさまらない。その間には信頼、信用というものが大切だ。首相は消費税率引き上げに命をかけるといって自・公両党に可決・成立に向け協調を求めた。その時に首相は「消費税率引き上げ法案が成立した後、近いうちに国民の信を問いたい」と発言している。自・公両党は首相の「命をかける」という言葉を信じて消費税率引き上げ法案の可決・成立に全面的な協調態勢をとった。

 

 「近いうち」は、信を問われることになる国民への約束でもあったのだ。それを消費税率引き上げ法が成立してしまうと、次々と新しい条件をあげてズルズルと引き伸ばしを図った。いたずらに政権の引き伸ばしを図っているのではないと口では言うが、誰がみても延命策そのものじゃないか。

 

 野田首相、誰から見てもあなたは誠意がなさ過ぎる。野党の意向に耳を傾けるようなポーズをとりながら聞こうという「こころ」がない。野党の感情を逆なでしているだけだ。自分で国会の運びを引きずっておきながら、野党が「臨時国会を邪魔する」「赤字国債発行法案の成立を遅らせ地方自治体の財政運営を混乱させている」「政治を止めている」というイメージダウンの戦略を描いているのではないか。

 そんな停滞の政治であなたは歴史に責任が持てるんですか。つくづく思う。点取り虫の生きざまは松下政経塾までにしてほしかった。

 

川柳「朝囀」 国民か 党か自分か かわいくて    (誠)

 

田中法相は即刻罷免すべきだ

暴力団との癒着や外国人からの献金疑惑を追及されるのを恐れて国会の委員会出席を拒否していた田中慶秋法務大臣をこのまま居すわらせていいのだろうか。正義を説き、法を守るベき法務大臣が暴力団と仲良しで、憲法で義務付けられた国家への出席を逃げてしまう。まったくふざけたご仁だ。

 

大臣就任後に暴力団との付き合いを記者団に問い詰められると何と「もう30年も昔のことだ」「大臣を辞任するつもりはない」「職務を全うするのが私の務めだ」なんてまくし立てていたが、それこそ遺憾なことだという認識などまるきりない。まだこういう手合いが政治家、それも国会議員をやっているんだ。驚くばかりだ。輿石幹事長の押し出し人事だったのか、誰の推薦か知らないが民主党は余程の人材難だ。

 

しかも、この日の参院決算委員会は東日本大震災で痛めつけられた震災被災地の復興を促進するために予算の使い道を話し合う場だった。いまだに34万人もの人々が避難生活を強いられ、つらい毎日を送っている。福島原発事故の影響下にある地域の中には集落ごとふるさとを捨てなければならないところもある。被災者たちのために委員会の議論に参加し、復興の歩みを速めてやろうという気にはならないんだろうか。

 

いずれにしても任命責任者は野田首相なんだから、一刻も早く田中法相を罷免するか、自分も一緒に退陣すべきだろう。それでなくったってもう政治らしい政治はほとんどやってきていない。国力は日に日に衰え、国の借金は1000兆円を超え、生活保護受給者は何と220万人をはるかに超えてしまった。元々、成長戦略を描けないできたから、下支えする経済も税収も先細りだ。そこへもってきて尖閣国有化に短絡した外交オンチのせいで貿易・経済の閉塞による影響はかなりのダメージになりそう。

 

もう、野田首相はもちろん民主党が政権にとどまる正当性もメリットも見当たらない。軽率な法務大臣とともに退陣し、下野する方が国のためだ。党首会談で解散の時期をほのめかすではないか、いや党内の批判を恐れてそこまではないのでは…とメディアは騒いでいるが、またまた舌の上で自・公党首を弄ぶのじゃないのか。戦後、大勢のリーダーがこの国を率いたが、野田さん、あなたほど保身にこだわった人はいない。口がうまいだけに本当に始末がわるいんです。

 

山本順三決算委員長の怒りをどう受け止めましたか。「自らの疑惑を追及されるのを恐れて出席拒否とは政治家として恥ずかしい。先人たちがこの国会であせを流し積み上げてきた足跡を汚す、許しがたい行為だ」と委員会室に声を響かせた。温和な委員長がこんな激しい怒りを発したのは恐らく生涯初めてだろう。その恥の一端は野田首相、あなたにあるんです。私たちも怒りのやり場がありません。

 

 

川柳「朝囀」 改造で ガラクタばかり とび出した   (誠)

 

 

 

2012年10月18日 (木)

衆参とも独立機関で是正進めよ

「選挙権の平等を規定した憲法に違反する」。一昨年の参院選の一票の格差最大5倍は憲法違反だと最高裁が断じた。これで2009年衆院選における一票の格差に対する判断に続いて2年続けて最高裁法廷に「違憲」の声が響いた。

 

いや、この国では衆院も参院も、国会が憲法を踏みつけているということだ。こんなことではどんなに立派な政策を並べたって、「民意」「民意」と国民のことを大事にしているようなことを言われても信じられない。政権延命の駆け引きなんかやってる時ではない。

政治家の身分にかかることを国会に任せていても埒はあかない。こうなったら強い権限を持った独立機関を作って是正作業を急ぐしかない。当面「近いうち」解散・選挙は違憲状態のままでやるつもりだろうか。

 

6万近い票を取っても落選してしまう選挙区と1万票そこそこで当選する選挙区とがあるというのはどうみても平等じゃない。これくらい国民が赤裸々に差別されている例はない。「憲法の前の平等」がマンガの表紙になったような話だ。いくら最高裁が「違憲だ」といったところで国会は「選挙無効」の決定的な判決を突き付けられない限り国会は動こうとしない。国民を「一票」の投票用紙としか考えていないからだ。

 

参院だけじゃない。衆院だって「一票の格差」は2・52倍と選挙区画定の基本「2倍以内」に反し「違憲」状態を宣告されている。何と全選挙区の3割にあたる97小選挙区が2倍を超えている。もう小手先の手直し程度ではどうにもならなくなっている。

米国などでは政権交代につながった選挙なら「一票の格差」が1・1倍、1・2倍程度でも選挙は無効になる。国会はそのことを厳しく受け止めるべきだ。

 

「一票の格差」が大きくなる原因は定数配置が形式的になっていることと小選挙区制のせいだ。小選挙区定数300を47都道府県にあらかじめ一つずつ配分する「1人別枠方式」をとっているから、人口比で配分できる定数枠は253しかなく、格差が生じても仕方がない仕組みだからだ。最高裁は「1人別枠方式」を格差の温床と指摘し廃止を求めている。今回の参院の格差問題でもはっきり立法措置をもって解決するよう求めた。

 

投票された票の半分がいわゆる「死に票」になってしまう小選挙区制の廃止や中選挙区制の復活など選挙制度の抜本改革を求める声もあるのに、「一票の格差」も解決できないような国会には任せておけない。党利党略より議員個人個人の利害、個利個略から脱することもできない。情けない連中だ。

憲法を踏みつけている自覚も乏しく自分の利益にばかりこだわるのでは国会に任せておけない。強い権限を持った独立機関を作って思い切った是正に着手するしかない。

 

川柳「朝囀」 昨年と 同じページで 叱られる    ()

2012年10月17日 (水)

沖縄、また涙と怒り

沖縄で20代の女性が米海軍兵士2人に乱暴されるという事件が起きた。8月の米海兵隊員による女性への強制わいせつ致傷事件に続く事件だ。「からだが震えるほどの強い怒りを覚える」…繰り返される事件に沖縄の怒りと悲しみが広がっている。

 

野田政権はこうした忌まわしい事件の繰り返しをどう考えているのか。外務副大臣が電話で駐日大使に遺憾の意を伝える程度でいいと考えているのか。いの一番に首相自身が肉声で米軍に怒りを伝えなければならないだろう。虫ケラのように米兵に辱めを受け、傷つけられていく女性たちをそのまま見殺しにするのか。口を開けば「沖縄の苦しみや負担の軽減が大切だ」というのに、それは行動になって現われない。

 

こういう悲劇があるたびに沖縄の人たちは何と言って悲しみ嘆いているかご存知ですか? 「沖縄は本当に日本なのか」「私たちは本当に日本人なのか」。そういって悲しんでいるんです。米軍の基地機能の大半を押し付けられていることよりも、心痛む事件があった時に人間的な優しい気遣いや慰めの「ことば」が沖縄に届かないからなんです。野田首相は歴代リーダーの中でも際立って沖縄に足が遠いところが気になるが、今回もただひと言、「遺憾なことだ」と立ち話程度だ。何も考えていないんだ。

 

何も考えていないんだっていえば、普段,えらそうなことを書き連ねている新聞はどうしたんだ。この忌まわしい事件が起きた時に全国の新聞社が青森市に集まって新聞大会を開いている最中なのに、なぜ大会決議の中にその再発防止を求める一項を入れなかったんだ。決議案として印刷物に盛り込む時間的余裕がなかったなら、席上、読み上げればよかったではないか。真実を追究し、国民の知る権利にこたえるのが最大の使命だというなら、沖縄で悲劇が繰り返されるのはなぜか、その真実を迫ることも重大だ。

 

新聞は民主主義の発展と国民生活の向上に寄与してきたと叫んだところで、小さな島で人々をおびえた暮らしにおいたまま、人間の生きることさえ否定したような状態に押し込めておくのでは、天空に吼えるようなものだ。沖縄国際大の前泊博盛教授が新聞で「日本を守る米軍が一番の脅威になっている。政府や本土の人はしっかり見つめてほしい」と訴えている。その先頭に立つべきが新聞ではないか。

 

川柳「朝囀」 平和かい 小さな島が 泣いている

 

鳩山さん、また外交顧問ですか

鳩山由紀夫元首相が外交問題担当の民主党最高顧問に復帰したというのは一瞬、聞き間違えかなと思った。あれだけ外交でへまをやって、それがもとで退陣に追い込まれたというのに、選りによってその外交担当で復帰するとは、民主党は外交オンチどころか外交を金持ちの社交の舞台ぐらいにしか考えていないのだろう。それじゃあ尖閣だって、竹島だって解決しっこない。

 

元首相は今年4月、政府の再三の中止要請を振り切ってテヘランを訪問し、イランの核開発問題をめぐってアフマディネジャド大統領らと会談した。会談の中で鳩山さんは国際原子力機関「IAEA」がイランなどに二重基準的な対応をとっているのは不公平だと語り、そこをイラン側に宣伝利用されてしまった。政府の不安が的中した。

 

元首相はそんな発言はしていないと全面否定したが、すべて後の祭りだった。外交オンチな元首相がイランの思惑にまんまと引っかかった。イランの核問題は欧米諸国が制裁圧力を強め、その枠組みの中で日本も同調している。その時に政権の最高顧問という重責にある元首相がノコノコ出かけて行って、イランの核開発を後押しするようなことを発言してしまう。欧米諸国が嵩にかかってもどうにもならない国を自分が何とかできるなんて考えちゃうのかもしれない。おめでたい人だ。

 

外交能力も見識もお話にならないことはすでに首相時代、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題で証明済みだ。移設先を「国外、最低でも県外」と言いながらかなわず、自ら「悪魔の選択だ」と否定した辺野古海岸の埋め立てに逆戻り、沖縄県民を裏切った。米大統領に移設問題はお任せくださいという意味だったのだろう、「トラスト・ミー」などという不見識な言動をはいたことも国際社会で笑いものになった。

 

「ハトヤマ」というだけで世界のリーダーたちの間で話が通ると思っているのか、自分に外交能力があると思っているのか、宇宙人と呼ばれるゆえんもそのあたりだろうか。野田首相が「一蓮托生だ」と言質を与えて以来、輿石幹事長人事が暴走気味で、鳩山外交顧問復帰も輿石独断人事らしい。その背景は「国民の生活が第一」の小沢代表との連携の橋渡し役が狙いのようだ。野党が内閣不信任案を出してきた時、それを退ける数の確保だ。

 

そこまで輿石人事をめぐらしているのだから、野党の求める「早期解散」なんかあるわけない。それに口のうまい野田首相が「近いうちだ」「そのうちだ」と舌先でズルズル引っ張って解散なし、任期いっぱいということになりそうだ。

その前に外交オンチの再興顧問が懸念のある国をみだりに訪問し国益を損ねるような事態になるかもしれない。その辺が「アリの一穴」になって政権瓦解ということがあるかもしれない。自民・公明両党には鳩山外交のつまずきがたよりだ。

 

川柳「朝囀」 イランから また来てくれと ラブコール    (誠)

2012年10月16日 (火)

「ガンさん」ありがとう

俳優の山田吾一さんが亡くなった。面識があるわけではないが、この人の名演技で自分の進路を決めてしまった。もちろん、それは間違っていなかったし、大いに感謝している。

 

NHKのテレビドラマ「事件記者」が茶の間を賑わしはじめたころ、昭和33年、私は高校2年生だった。正義感あふれる中央日日の中堅記者「ガンさん」役を演じていた。ガラガラ声で飾り気のない、あっけらかんとした記者像は山田さん本人そのものだったのではないか。

他紙に特ダネをすっぱ抜かれた若い記者をあけすけに叱りつける。「お~、くやしいだろう」「オレもくやしいわ」とあびせる。

 

でも、それを必ず後でフォローする。「くよくよするんじゃねえよ」「雨の日がありゃ晴れる日がくる」。そういって若い者を行き付けの小料理屋「ひさご」へ連れて行く…そこには坪内美詠子さん演ずるやさしい女将「おチカさん」がいて慰めの言葉をかけてくれる。「エンちゃん」も「イナちゃん」も「ヤマさん」「べーさん」も、みんな集まっている。

その劇中の雰囲気がたまらなくあったかくて楽しい、生き生きとしていた。人間同士の心の通い合いというものがにじみ出ていた。

 

単純な私はいつしか新聞記者になろうって決めていた。国語が苦手で理系の大学に入学したものの新聞記者への思いを断ち切れず、文系に転向した。念願かなって新聞記者になったが、もちろんあの「事件記者」の空気なんかまるでない。奴隷とまではいわないが、1日24時間働き通し…記者クラブのソファーがベッドになる生活だけは「事件記者」そのものだった。

高校時代の恩師が同級会で「あいつの書いた原稿は注意して読め」と言い渡したそうだ。

 

その国語不得手が何と45年間、新聞記者を勤め上げ無事卒業した。好きなら多少の能力不足は埋め合わせることができる。適職なんて終わりまで分からない。だから、自分にどんな仕事、どんな会社が向いているかなんて初めからこだわることなんかない。

就職雑誌なんか作る会社がああでもないこうでもないと理屈をつけて進路を指導するようなことを書いているが、進路を間違えた手合いにそんなこと書く資格なんかないんです。

 

山田吾一さんだって高校を卒業した後、いったん会社勤めをしたが、俳優の専門学校に入って演技を学び、劇団四季などを経て「事件記者」にめぐり会っている。どこでどんな出会いがあるか分からない。それが人生だ。高校時代に「事件記者」や「ガンさん」に出会わなければ 私も今、こんなことを書いてはいない。山田吾一さんの「事件記者」と出会って新聞記者になった人は全国に大勢いた。いや、いるはずだ。

山田吾一さん、ありがとうございました。心から感謝し、ご冥福を祈ります。

 

川柳「朝囀」 原点は クラブに響いた 「バカヤロ―」    ()

2012年10月15日 (月)

がんばれ,ユスフザイ

反政府武装勢力から狙い撃ちされ意識不明に陥っているパキスタンの少女,マララ・ユスフザイさん(14)の悲劇は人間の狂気性を物語っている。ユスフザイさんが生き延びたら再び襲うと武装勢力は警告を繰り返している。国際社会はそんな非人道をゆるしておくのか。人類はそこまで無慈悲、不感症に堕ちてしまったのだろうか。

私的なことながらユスフザイさんは孫娘と同じ年だから、ひときわ心が痛む。

 

内戦の地、シリアで戦火の下の子どもたちを案じながら銃撃戦に巻き込まれ亡くなったフリージャーナリスト、山本美香さんを思い浮かべる人が多いだろう。「爆撃で全身傷だらけになった女の子が手を差し出して『助けて…』って消え入るような声で訴えるの、そのまま放っておけないんです」。ボーン・上田記念国際記者賞の受賞記念講演での山本さんの話を私は胸を締め付けられる思いで聞いた。それを思い出す記者も多いだろう。

 

権力者は身勝手な大義を振り回して戦争をはじめる。戦闘に狩り出された男たちの後に残された老人や婦女子は戦火の下を逃げまどい、おびえ、そして傷つき死んでいくのだ。山本さんはそういう老人や女,子どもたちのおびえた声に引き戻されていた。山本さんが生きていたらきっとユスフザイさんのことを気遣い、パキスタンのユスフザイさんのもとに飛んでいるに違いない。いや、天国からユスフザイさんを励まし続けているだろう。

 

反政府武装勢力パキスタン・タリバーン運動TPPは女子の学ぶ権利を禁じている。ユスフザイさんは、3年前からTPPにおびえながら登校する暮らしを英国のBBC放送のブログに仮名で投稿していたが、政府主催の講演会に出演して女子教育の必要性などを説いたころから本名も知られ、武装勢力から狙われるようになった。

今月9日、下校のためスクールバスの中にいたところを覆面姿の男たちに銃撃され、意識不明の重体。TPPはユスフザイさんが政策批判を続ける以上、襲撃をやめないといっている。

 

ユスフザイさんは政治家になって法律を作り、女子教育のためになることもしたいと言っているそうで、反政府武装勢力はマララさんの持っている影響力におびえている。歴史的に見ても女性が国の体制を変えた例は多いことを知っているからだろう。

 

しかし、大義を守るためにわずか14歳の少女の命を止めようとする稚拙かつ残虐な勢力をどうして野放しにしているのか。政府だってユスフザイさんを講演に引っ張り出すなど対TPP戦略に利用してきた一面もあり責任は免れない。

向学心に燃えるユスフザイさんは学校が好きだった。学ぶことからいつも新しいことを発見して喜びを感じていた。もっともっといろんなことを学びたかっただろう。家族のことや将来のことをみんなで語りたかっただろう。

 

「私には希望や夢を語る権利がある」と言っている。ユスフザイさんの話に刺激を受けていろんなことを学んだり、将来の夢をめぐらすような女性たちが増えた。ただ、それはTPPの政策に反する。だから、ムキになって襲い掛かってくるのだ。

考えてみれば国際世論というのはあるのかないのか。少女が犠牲になったというのに武装勢力の動きを止めるに至っていない。残念ながら私たちが住んでいる地球には国際世論の欠片もない。

 

川柳「朝囀」 その叫び ジャンヌ・ダルクの 霊に似る   ()

 

2012年10月14日 (日)

安倍さんも野田首相の罠に?

安倍さん、山口さん、大丈夫ですか? 臨時国会召集で野田首相と安倍総裁・山口代表の民・自・公3党首会談が行われるそうだ。赤字国債発行法案を成立させたい首相と早期解散を迫りたい自・公党首の駆け引きだ。消費税率引き上げ法案の採決、さらに成立への協調をめぐって野田首相が谷垣前総裁と山口代表をペテンにかけた党首会談と酷似だ。

 

谷垣さんは早期解散の言質を欲しくてたまらなかった。一方の野田首相は消費税法案の成立に漕ぎ着けたかった。お互いが思いを込めて向かい合った。もちろん、野田首相の方が主導権がある。何と言っても専権である「解散権」を持っている。その主導権をチラつかせながら社会保障制度改革の緊急性や3党合意をネタに首相が押しまくった。それじゃあ、子どもの使いになっちゃうと谷垣さんは食い下がった。

 

早期解散を確約してほしい。望むべくは解散の時期を具体的に示してほしい。そう言って粘った。その結果、野田首相が示したのが「消費増税法案など懸案事項を成し遂げた後、近いうちに国民の信を問う」という話だった。谷垣さんは消費増税法案が成立すれば、そんなに期日をおかず解散になる、と確信した。山口代表も加わって「近いうち」の確かめをするとともに消費税増税法案の参院採決、さらに成立と自・公両党は協調した。

 

だが、その後は野田首相のやりたい放題、言いたい放題になった。消費税増税法案が成立しても解散する素ぶりどころか、国民の信を問う前に赤字国債発行法案や衆院の「一票の格差」是正もやらなければならないと言い出した。結局、自・公両党を舌の先で転がしてズルズルと引き延ばしに出た。自・公のうち特に谷垣さんは怒りがおさまらない。野田首相に「不実だ」「ペテンだ」と食い下がったが、勝負あった。

 

くやしさのあまり谷垣さんは参院で野田首相への問責決議案に賛成、一矢を報いたが、それを党内の古株たちに咎められ、総裁再選の道も断たれてしまった。消費税増税法案が赤字国債発行法案に替わるだけで安倍さんが同じように野田首相の舌先で転がされる可能性は十分ある。可能性どころかその恐れ十分だ。

 

信義を重んずる政治の世界であるはずだ。野田首相が谷垣さん、山口代表をしてそう信じさせた「近いうち」は国民への約束でもある。代表選の再選を経たといってもそれは生き続けている。問責決議だって効力を持ち続けている。まさかそのことを首相が忘れているはずがない。民主党はもはや国民のために政治をしているのではない。党の延命のためだけの政治をしている。それが見え見えなのに新聞、テレビはなぜ糾弾しないのだ。

 

「こころ」のない野田首相に「誠意」「誠実さ」なんて期待するのが無理だという意見もある。その背後には野田首相が「一蓮托生」とはばからず言った権力乞食、輿石幹事長がいる。早くも「何のための臨時国会召集なのだ」ととぼけている。その政治信条は「政権任期の4年間は解散しない」だ。それは民主党がただ一つ守っているマニフェストなのだ。安倍さんも野田首相の罠にかかってしまったように思えてならない。

 

川柳「朝囀」 丁重な あいさつの先 落とし穴     ()

 

2012年10月13日 (土)

復興予算が泣いている

おもしろいねえ。寄席でもこんな話は聞けないね。東日本大震災の復興予算を使って反捕鯨団体「シー・シェパード」の妨害行為をウォッチする監視船をチャーターする。その理屈が笑わせる。調査捕鯨をきちっと進めないと鯨を確保できない。鯨肉加工などの水産加工業が盛んな被災地、宮城県石巻市などの復興には欠かせないんだという。

農林水産省はそう説明している。監視船のチャーター代だけで5億円を充当するという。

 

それじゃあ被災地ではなく東京などの税務署の耐震改修に12億円が使われた話はどうだ。やっぱり大震災の復興予算からだ。その理由を財務省は何も説明していないが、大地震、大津波に見舞われても復旧・復興費用を確保するのに税金の取り立て事務を間違いなく進められるよう税務署だけは頑丈なものにしておかなければならないというらしい。

何だか風が吹けば桶屋がもうかる式の分かったような分からぬ話だ。

 

大震災の復興予算と呼ぶにはどうみても無理がある。被災地から「復興予算の使い道がおかしい」という声が上がるのは当然だ。なぜそんなことになるのか。

復興予算の原資はもちろん国民の税金だ。2011年度の補正予算から始まり、5年間に20兆円近くが投じられる。その約半分の10兆5千億円を復興増税でまかなう。2013年1月から25年間は所得税の2・1%分、2014年6月から10年間は住民税に年間1000円が上乗せされる。

 

消費税率引き上げ法が成立して少しゆとりが出たとでも言うのか。とんでもない。消費税増税は年間1兆円ものペースで膨らむ社会保障費を考えればまさに焼け石に水だ。息なんかついているゆとりはない。

国会議員の給与や諸手当をバッサリ切り落としてその穴を埋め合わせるくらいのまじめな取り組みをしてほしいのに、そっちはお茶を濁し、どさくさまぎれに卑しいことをやる。政治家も役人も公金意識が麻痺しているからだ。

 

政府、民主党の予算に対する感覚はいまさら疑問を投げかけるまでもない。財源見通しもきちっと立てずにばらまきの政権公約、マニフェストを打ち上げ、政権は奪ったもののほとんど約束を果たせなかった裏切りが象徴している。

こんないい加減な使途が判明したからには1日も早く復興予算の使い道を検証するための委員会を開催すべきなのに民主党は逃げ回ってきた。政権の未熟さがバレちゃうからだ。

赤字国債発行法案の成立を急がなければならない状況になって、ようやく検証委員会の開催に応ずる。駆け引きばかりで本当に誠意がない。

 

前原国家戦略担当大臣に至っては「被災地の人たちの心情を考えるとゆゆしきことだ」と発言力補強の足がかりにしている。平野復興相が言う「いかがなものか」などという段階を超えているのだ。ドロボーみたいな恥ずかしい行為じゃないか。

復興予算と謳うからには誰がみても被災地の復旧・復興に生かされていると納得するような事業に使うべきだ。被災地に特化した予算にするのは当然だ。民主党が政治の取り組みにまじめさを欠いている何よりの証拠だ。もうご免だね。

 

川柳「朝囀」 キャバクラも 復興という 国がある    ()

 

 

 

2012年10月12日 (金)

こんな県議会はいらない

こんな県議会はいらない。浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案も修正案も静岡県議会は否決しておきながら、「本質的な議論がなかった」「真剣さが足りなかった」「本気度が疑われる」と議会内部からそんな声が持ち上がっている。

 

すべてが終わってしまってから何を言ってるんだ。たわ言を並べるのもいい加減にしてもらいたい。恥ずかしくないのか。

 

重要なことは、再稼働に賛成か反対かもあるが、それ以上に大切なことは原子力とどう付き合っていくか、どんな距離で暮らしていけばいいのか、原子力の利用と安全を1人ひとりが考えることだ。あの福島の原発事故の恐ろしさを忘れてしまったのか。

 

子どもや孫たちにその恐怖が再び降りかかるかもしれないとは考えないのか。その末代に及ぶかもしれない恐怖に備えるために県民の思いを確かめる投票・開票事務に金がかかるから反対だという市や町がある?。住民の命は金と引き換えか。そんな市や町ならいらないじゃないか。

 

条例案に修正すべき点が多過ぎたって? 法律の専門家でもない一般市民がまとめたのだ。間違いや齟齬があるのは当然だろう。それを修正、指導するのが県じゃないか。あげて修正に協力するのが議会じゃないか。それをやり尽くしたか。

 

それどころか最初から条例案を排除するための理由にしていたではないか。条例案をまとめた市民団体に対して修正点が多過ぎるといって叱り飛ばすとは何ごとか。県議がそんなにえらいのか。

 

国の原子力規制委員会や電力会社が明確な判断を示していない中で素人の県民が何を基準にして判断するのか。議会審査の中で参考人がそんなことを言っていたが、県民をバカにするのもいい加減にしてもらいたい。

 

専門家たちが想定できなかった原子炉の溶融、メルトダウンが起きたじゃないか。専門家や電力会社の判断が信じられるか。浜岡は安全対策が進行中だから再稼働の是非を問うタイミングではないという議会の声も根っこは同じだ。

 

びっくりしたのは、「将来」という言葉がいつを示すのか定かでないが、川勝知事が修正案の将来的な知事提案を示唆したという。それならなぜ今回、修正に向けてもっと努力を重ね、継続審査にしても成立を目指さなかったのか。条例案に賛意を表明して県議会に提出した張本人ではないか。失礼ながら「政治的発言」を勘ぐってしまう。

 

政治的と言えば、県議会にも猛省を促したい。命を守るという話は政治的に扱うべきではない。人間的、人道的であるべきだ。原子力の利用と安全の判断に私たちも加わらせてほしい…生きる権利への一歩をかなえられなかった議会の無力を嘆かざるを得ない。

2012年10月11日 (木)

浜岡原発、住民投票断たれる

こんな県議会ならいらない。傍聴席は怒りと落胆が交じり合ってどよめいた。全炉停止中の浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案は、地元、静岡県議会を突き動かすことができず圧倒的反対多数で否決されて終わった。一部の超党派議員たちによって提出された修正案も賛同者を広げることができず、むなしく葬り去られた。

 

再稼働に賛成か反対かだけでなく、原子力とどう向き合っていくか、どんな距離で暮らしていけばいいのか、原子力の活用と安全を県民一人ひとりが考える機会になればとも期待されていたのに、その思いも封じられてしまった。それがやがて自分の子どもや孫たちに暗い影を落とすようなことにならないことを願わずにはいられない。

 

議会の役割は住民の声をできる限り政治や行政に反映させることだ。その声を封じこめる道を探すことではない。条例案に修正すべき点がたくさんあったなら議会あげて修正に取り組むべきだった。それをやり尽くしたと言えるか。修正できない欠陥ではなかった。それを最初から排除の理由にしていなかったか。住民自治にギロチンを落とす仕打ちになっていなかったか。

 

条例案をまとめたのは一般市民だ。間違い、過ちが多かったのは仕方がない。それを修正、指導するのが県や議会のあるべき姿だ。少なくとも市民団体が修正点が多すぎると叱り飛ばされるなんておかしい。そんな民主主義があるか。それが住民自治だと言えるのか。

 

確かに浜岡原発は安全対策が進行中で、今、再稼働の是非を問うタイミングではないかもしれない。それなら総務委員会の集中審議で参考人から指摘があったように、安全対策が整った時点で問うことにし、継続審査にして条例案の扱いを先延ばしする手だってあったじゃないか。

何が何でも条例案を葬り去ってしまおうという空気を市民団体に感じ取らせてしまったのは悔やまれる。県民投票をやれば反対の審決が出るということを恐れたのだろうか。

 

議会は否決の理由をきちっと16万5000人の署名人はもちろん県民に説明しなければならない。「修正箇所が多すぎる」だけでは説明にならない。再稼働そのものについて議会はどう考えているのか、今後どう取り組んでいくのかを説明して否決そのものを理解してもらう丁寧さ、優しさが必要だろう。

 

これまでにも本欄で繰り返し主張してきた通り、命を守る、末代に及ぶ恐怖からどう身を守るかという誰にもかかわる重大事なのだ。禍根を残してはならない。

国の原子力規制委員会や電力会社が明確な判断を示していない中で素人の県民が何を基準にして判断するのか。そういう声が参考人の一部から出ていたが、それこそ県民を愚弄するものだ。原子力の専門家たちが想定できなかった原子炉の溶融、メルトダウンが起こり、恐れて想定を回避した「取り返しがつかない事態」が現実になったじゃないか。

 

再稼働判断をめぐる責任は、政府中央で政権と原子力規制委員会と電力会社との間であびせっこしている。専門家も政治家もまったくアテにならない。命がいくつあっても足りない。

ひとたび原発事故になればその痛手は一方的に市民、住民が背負わされる。再稼働の判断に私たちも加わらせてほしい。その願いは生きる権利の一部だ。その願いに多数をもってフタをしちゃった。寝覚めが悪くありませんか、県議のみなさん。

 

(お詫び)10日付け「政党助成金…」の冒頭は「民主党」でした。訂正します。

勇気をくれるノーベル賞

ノーベル医学生理学賞の山中伸哉京大教授の語り口が魅力的ですね。淡々として余計なことは言わない。あれだけの栄誉に浴すれば大抵の人は嬉しさのあまりつい口が滑ったりするものだが、それがない。かといって研究所ではユーモアもあって若い人たちを楽しく研究に向かわせている。「理想の上司」コンテストでもノーベル賞だろう。

 

今回も偉大な研究者はいきなり自分の得意分野に行き着いたのではないということを教えてくれた。山中さんは当初は外科医だった。手術が下手くそで、人が1時間で終わる手術が3時間も4時間もかかった。チームの医師たちから邪魔になるという意味で「ジャマ中」と呼ばれていたそうだ。そこを離れて研究者に転じて実力、真価を発揮した。

 

生体高分子の構造解析でノーベル化学賞に輝いた田中耕一さんは大手の就職試験に失敗した後で辿りついた中堅企業で芽が出た。「ビリ卒でノーベル賞」でくすぶっている研究者を大いに奮い立たせたノーベル物理学賞の小柴昌俊さんは、指導教授たちが「小柴には無理だ」と温泉の湯けむりの向こうで言ってる話を聞いて、「じゃあ、やってやるぞ」と宇宙物理の道に進み、宇宙ニュートリノの検出に成功した。

 

今、大学や研究所で悩んでいる若者には大いに勇気づけになるだろう。小柴さんの名誉のために書いておきますが、東大の理学部をビリで卒業したといっても好きな宇宙物理の実験に熱中するあまり他の講座が疎かになっただけの話です。何でも万遍なく好成績を得ている学生や研究者が優秀だという日本の学力観に冷水をぶっかけたことでも小柴さんは大きな功績を残しているんです。

 

現役時代、民放テレビ局の創立記念番組で小柴さんとその研究を全面的に支えた浜松ホトニクスの晝馬輝夫会長と3人で浜松文芸大学講堂を会場に1時間の鼎談をしたことがある。晝馬さんはニュートリノ検出に成功したカミオカンデの地底観測所の光電子増倍管を開発し寄贈した小柴さんの大恩人だが、少ない研究費に悲鳴をあげている小柴さんに増倍管を進呈する時には「持ってけ、ドロボウめ…カネなんか要らねえや!」なんていうやり取りでやっていた話に聴衆の拍手が鳴りやまなかった。

 

「自分が好きなこと」「自分が本当にやりたいこと」を見つけるには時間がかかる。当然な話だね。30何教科もある講座をすべて中途半端な成績で終わるより、Ⅰ、2の講座で身を立てられるようにした方が楽しいね。小柴さんはそんな風に言っていた。

お父さん、お母さん、やっぱり1点や2点にこだわっちゃダメなんです。就職だって焦ってビッグネームに飛びついたって楽しくなくちゃしようがない。大学もハローワークのように学生に企業を押し付けて「内定率90%」「100%」と誇ってみてもしょうがない。若者たちの一生のことを考えてやってください。

 

川柳「朝囀」 道徳の 教科書代わり ノーベル賞    ()

 

 

 

(お詫び )10日付け「政党助成金…」の冒頭は「民主党」でした。訂正します。

 

2012年10月10日 (水)

政党助成金辞退はだまし絵だ

「民衆党、政党助成金申請見送りへ」。昨日(9日)BSデータ放送の見出しにそう出た。これは遅まきながら、やっと政治家も世間並みのことを考えるようになったなと思ったら、肩透かしを食っちゃった。腹が立って、腹が立って…。

 

真実はそんな素直な話じゃなかった。また駆け引き材料だった。赤字国債発行法案の成立に協力せず政党助成金だけを受け取る自・公両党の姿を知ってもらうためだという。自分たちだけいいことをやっているように見せかけて国民世論を味方につける。民主党がよくやる手だ。気をつけないといけない。助成金全額の話ではなく10月分だけだ。

 

当然、話が済んでしまえば黙って申請し懐へ入れちゃう積もりなんだ。4分割のうちの一回分といっても国民新党分と合わせて42億3千万円というから、いかに政党助成金が大金であるか分かる。申請を当面先送りへというだけのことだからだまされちゃいけない。    消費税率引き上げを強行したり、東日本大震災のための復興増税で国民に負担をかけるから自分たちも痛みを受け止めようとまで言ってるがみんな宣伝だ。

 

それはそうだね。「税と社会保障制度の一体改革」を進めるについて政界も痛みを受け止めたらどうだと言われながらズルけてきた人たちがそんな気の利いたことをやるわけがないものね。脳天気な新聞、テレビが夏に「国会議員が大震災の復興のために身を削ったから報酬が減った、減った」と大騒ぎしていた。どんなに身を削ったのかと思ったら年間1億円もの実入りがある中から歳費270万円を削減するという話だった。

 

痛くも痒くもないだろうとは言わないが、国民の目から見れば助成金を断念するわけじゃないし,時期がくればもらうのだから、やっぱり痛くも痒くもない。政治家はゆとりのある生活をしているし、生活保護受給者が220万人を超えた実態からすれば国民との開きは広がるばかりだ。全国の私鉄で作る日本民営鉄道協会が経営が苦しいから廃止したいと訴えていた無料パスを20年も廃止しなかった。ケチくさいね。

 

それより何より政党助成金は国民の税金から出される資金だ。国民の暮らしが苦しいとなればイの一番に廃止すべきだ。元々、政界と財界の癒着による不祥事多発を受けて、企業献金を廃止する代わりに導入されたのに企業献金は廃止されず「両もらい」になっている。「もらわにゃ損だ」という卑しい根性があふれている。こういう時こそ思い切って政党助成金を廃止しようという声がなぜ上がらないんだろう。

 

うかつに政界の話を信じちゃうとえらい目にあう。なぜ、新聞やテレビは最初からこういう話の「裏」をしっかり書かないんだろうか。政治家や政党がこわいんだろうか。

メディアまで「落とし穴」を掘るのに協力しているようじゃ危なくてしょうがない。安直な報道のせいでまた嫌な「政治家と金」の話を書く羽目になってしまったが、政治の世界はもう信じられるものはないね。

それより何より、民主党が政党助成金をすべて返上したと受け取った人たちが恐らく多数いるだろう。ちょっと気がかりだ。

 

川柳「朝囀」 うまいなあ ほとぼり冷めて もらうんだ      ()

2012年10月 9日 (火)

橋下さん、負け惜しみだ

これで何度目かね。橋下大阪市長、というより「日本維新の会」代表に負け惜しみを言わせたのは…。政界には大変に不評な世論調査報道だが、それだけ真実というか政治家の痛いところをズバリついているんだ。新聞社の皆さん、まともな記事が少なくて読者の不満が募っている時だから、せっせせっせと世論調査報道を続けてください。

 

最近の世論調査で次期衆院選の比例代表区投票先予想で「日本維新の会」がこれまでの勢いを失って少々へたり気味なことが判明した。共同通信調べでは自民党31・3%、日本維新の会13・9%、民主党12・3%、朝日新聞調べでは自民党30%、民主党17%、日本維新の会4%となっている。

 

朝日の日本維新の会の数字が極端に低いのは一体どうしたんだろうか。何もないという数字ではない。いろいろな意味で疑問は残るが、勢いという点で見れば「日本維新の会」が人気を落とし始めたことは疑いのない事実だろう。橋下代表を慌てさせ、決裂状態だったみんなの党とよりを戻させた。

 

新聞、テレビの世論調査報道は政界から毛嫌いされ、過去には自民党の森喜朗内閣のように「明らかに私を狙い打ちした誘導調査だ」と文句を言っている最中に倒れて行った内閣もある。あらかじめ選択させる答えが用意されていることをもって誘導だというのだが、選択肢を広げたり、自由記述で答えさせても結果はそう変わらないというデータもある。

 

ただ、不思議なことにこれだけ頻繁に行われる世論調査だが、あなたの周りでも私の周りでも聞き取りの対象になったという人がほとんどいないことだ。

 

話を戻そう。その比例代表区投票先比較で「日本維新の会」が意外にも低かったことに橋下代表は「維新への支援の実像に近づいてきたということです。これまで浮かれていたところもあるし、これで冷静になれる」と語った。負け惜しみだ。ガクッときたことは事実だ。こういう時の橋下代表の萎れ方はひどい。青菜に塩だかナメクジに塩みたいになっちゃう。

 

関西電力大飯原発の再稼働に「絶対認めない」「安全切り捨ては許さない」と天の声を発していたのに、産業界から15%の電力不足と計画停電の困難さを打ち返されると豹変した。「まあ、うわべだけ言っていてもしょうがない。事実上の容認です」。あっけらかんとしていたのがかえって負け惜しみを感じさせた。今度の「4%」には幹事長の松井大阪府知事も「大阪でしか活動してきていないから全国に理解されていないのは仕方ない」と負け惜しみ丸出しだった。

 

日本維新の会の国会議員団が発足、その最初の記者会見で大阪維新の会、つまり橋下代表が陣取る本丸との意思疎通について切り出さねばならないほど東京と大阪がピリピリした関係にあることをさらけ出した。橋下代表は「変なパフォーマンスはやらないでくれ」とつい本音が出ちゃった。東京と大阪の間に冷たい風、不協和音がもれだしている。

 

解散・総選挙の候補者支援に注目だ。選挙資金は原則自前でというが、それでもいくらかの戦闘資金は持たせなければならない。財力に限界がある陣営が険しいところに追い込まれることは明らかだ。その時こそ橋下代表のリーダーとしての器量が問われる。一族郎党を路頭に迷わせるようなことになれば負け惜しみの言葉を並べているだけでは済まない。

2012年10月 8日 (月)

原発投票条例あきらめないぞ!

最後まで望みは捨てません! 浜岡原発の再稼働の是非を問う住民投票条例を直接請求した市民団体は、連休中も街頭で住民投票の実現を呼びかけた。

なぜ住民投票が必要なのかを語りかけ、チラシを配って1人でも賛同者、理解者を獲得して静岡県議会の最終採決につなげようと一生懸命だった。

 

条例案の原案はすでに県議会の総務委員会で否決されたが、一部議員たちが超党派で修正案を提出し、いわば命をつなぎ止めている。それも11日の最終日に本会議で採決が行われる。可決には33人の賛成が必要だが、現状ではきわめて難しい状態にあり、市民団体は追い込みに必死で取り組んでいる。

 

県議会の取り組みをみてきた限りでは本質的な議論は尽くされたとは言いがたい。最初に県当局から指摘された修正必要箇所をめぐるやり取りに終始し、むしろそれを理由に排除の方向に引っ張っていった。誰が考えても修正が不可能とも思えないし、市町の投票・開票事務への協力項目についても時間をかけて要請すれば乗り越えられるはずだ。住民自治の本質を考えれば市長や町長は協力せざるを得ないのではないか。

 

最初から市民団体に対する政党色を意識し過ぎている。何度も書いてきているように「原発」は政党やイデオロギーを念頭において論ずべきテーマではない。命を守る、孫や子たちの時代、いや末代にわたる人類の安全ということを考えるテーマだ。イデオロギーで生命の安全を論ずるくらい馬鹿げた話はない。現実に賛同して署名した16万5000人の大半は政党やイデオロギーなんか念頭にもなく署名している。

 

道路を造ったり、学校を改築したり、病院を建てたりするのにいちいち政党やイデオロギーをたたいて進めるのか。そんなことをやっているから既存の政党が市民から見放されはじめているではないか。議員は本来なら負託された「一票」「一票」に思いを馳せて行動すべきなのだ。それを政党や会派の集団として意見や行動を無理やり集結させたりするのは国政の外交や防衛において通用するもので、地方政治においてはむしろ避けるべきだ。

 

何も住民投票、県民投票を実施したら再稼働に「反対」という結論になるかどうかは分からないじゃないか。たとえ「反対」と出ても、再稼働を進めることに自信と責任を自覚するなら堂々と進めればいいのだ。県民投票は、私たちは原発とどう向き合っていくか、どんな距離で暮らしていくべきかを考える学習の場でもある。それによって得ることはたくさんある。

 

それなのに街頭活動をながめていると妙な光景に出会う。市民団体の人たちが差し出すチラシをあからさまに拒否する人たちがあまりに多いことだ。わざわざそこを避けて通り過ぎる人たちも多い。先を急ぐにしてもチラシを受け取るのに何分もかかりはしない。誰が市民、国民にこんな癖をつけてしまったのだろうか。もちろん、中には受け取ったチラシに目をやりながらうなずいている人たちもいる。「ごくろうさん」と声をかけていく人もいる。

世は下駄ばきで行けるようなところに公民館が作られ街では民間のカルチャーセンターが講座を競い生涯教育華やかだが、本当に学ばなければならないことは大丈夫なのか。

 

 

「福島は幸運だ」と岡田副総理

政治家って本当にいい気なもんだと思う。好き勝手なことを言って問題になれば発言取り消しはもちろん言い訳、言いつくろい、こじつけた正当化…何でもござれだ。

言葉を使って政策や理念を説き論じ合って社会に奉仕するのが仕事なのに、その言葉さえまともな使いようを知らない。いや、自分に都合よくあやつる。

 

冒頭から回りくどいことを並べたが、皆さんは岡田克也副総理が連休中に桑名市の講演で福島第一原発事故について、事故の影響は深刻だが、いろいろな関係者が言っていることでもあるが、(福島は)幸運だったと語ったことをどう思いますか。

その話の中で岡田副総理は、最悪の場合は東京圏まで含めて汚染される可能性があったということも語っているので、善意に解釈すれば、そういう事態にまで至らなかったのは幸運だったという気持ちを言いたかったのだろうが、幸運だったはないだろう。

それにしても副総理という重責なんだから聞いている者がああこう判断して理解しなければならないような言い方するべきでない。誰が聞いても理解できるような話し方をするのが正直な人間だ。人間のやさしさだ。

 

講演の後の記者会見で「福島が幸運だったというのはまともな表現じゃない」と記者に追及されると、いつもの通りムキになって反論した。「東京圏にまで影響が及ぶ事態になれば福島にももっと影響が及び、高濃度に汚染されていただろう。その意味で現状もひどい状況だが、最悪の事態を考えれば、それは幸運に助けられたということだ」と釈明した。

「幸運」という言葉をそんな使い方するのか。そんな時に使う言葉か。福島の被災地の人々がそのことばを聞いて納得するだろうか。釈明のために語った話がまたいただけない。余計に被災地の人々の感情を逆なでこそしてもとても理解してもらえまい。

 

そういう政治家が作る政策やマニフェストだもの分かりにくいわけだ。常に言葉をもてあそび人心をあやつっているからつい講演でもそういう言葉が飛び出してしまうのだろう。要するに正直じゃないんだ。適当にごまかせるとタカをくくっているのだ。

 

誰が聞いたって舌禍をいい加減につくろってごまかしたのが分かるのにその場にいた記者たちはなぜ怒らないんだ。ごまかさないでくれ、となぜ食いつかないんだ。新聞の隅っこにベタ記事で書いたって本人には痛くもかゆくもない。

 

かつて新聞の朝刊コラムを書いているころ、遊漁船と衝突し7人の遊漁客を死なせたまま現場を去った貨物船の船長を「衝突に気づかなかったはずがない。気づかなかったというのはウソだ」と書いて名誉棄損で訴えられた苦い経験がある。言葉づかい一つで信頼、信用を失ってしまう。私たち庶民は法廷に引っ張り出され損害賠償を払わされる。政治家は新聞の片隅でチョロっと書かれるだけで不問だ。そんなのおかしいじゃないか。

 

震災発生から1年9か月にもなるのになお34万人もの被災者が避難生活を余儀なくされ、わが家にも帰れず、町や地区ぐるみでふるさとを捨てなければならないかもしれない。みんなどんな思いで暮らしているかを知っている政治家ならそんな心をえぐるような発言はしない。

何よりも励ましと勇気づけの言葉が必要な時にそんなことを言って詫びることもできない。そんな政治家が率いる政党に政権を託したのは一体誰だ。

2012年10月 7日 (日)

沖縄を落胆させる報道

「オスプレイ配備完了」。今朝(7日)の新聞各紙はまるで相談して作ったかのように同じ見出しがそろった。あれほど連日のように紙面におどった怒りや憤り不安を訴える見出しはどこにも見当たらない。この変わりようが沖縄の人々を一段と悲しませているようで仕方がない。

 

山口県の米軍岩国基地に残っていた新型輸送機オスプレイ3機が沖縄の普天間飛行場に移動し、全12機の沖縄配備が完了した。地元、宜野湾市の佐野真淳市長が思いつめたように語った通り「結局、配備ありきで進んだ」ということだ。

民主党政権が口を開けば言ってきた「沖縄の危険解消」「沖縄の負担軽減」とは何だったのか。国会の所信表明でそれを約束した野田首相は、なぜ、沖縄の人たちに自分から説明もせず、逃げ回っているのだ。軍人だか学者だか評論家だか政治家だか分からない間に合わせの防衛大臣を批判の「弾除け」にして、平然としている。この人には「こころ」がない。

 

それにしても新聞、テレビの報道姿勢の変わりようには驚かされる。見出しそのものも無味乾燥、人間の心も感じさせない。記事の中身も淡々と事実のみを伝えた新聞が多い。「配備予定の全12機が配備された」「米海兵隊は順次、沖縄などで本格的な訓練をはじめる」…1面から社会面まで連日のように大見出しで「沖縄の安全を守れ」「絶対安全が確証されるまで飛行を許すな」と主張したのは一体何だったのか。どこからか圧力でもかかったのか。

沖縄の人たちの落胆は大きい。それを真っ正面から取り上げた共同通信の配信記事は政権、民主党に対する不信と怒りをしっかりぶっつけていた。「反対しても何も変わらない」「沖縄は 見下されているんだ」という沖縄国際大生、仲曽根翔吾さんの嘆きのひと言が光っていた。

 

記事や報道にも減衰性というのがある。ニュースも報道され続ける間に次第に小さくなっていくのだ。それはニュースの価値の問題もあるが人間、記者に慣れや飽きがあるからだ。もちろん、それが正しいとも当たり前だとも言わない。社会に伝えなければならないニュースはどこまでいってもしっかり伝えなければならない。

その意味で今朝の新聞、テレビ報道の変わりようには引っかかる。仲曽根さんをはじめ沖縄の人たちの嘆きにはその落差への寂しさのようなものがあったと思われる。

沖縄県民の訴えは、結局、今回も米政府はもちろん日本政府にも届かず、むしろ無視されてしまった。結局、「配備ありき」だった。それを新聞、テレビが報道を通して時にガス抜きを演じ、時に既定方針の固定化を演じてきたのかもしれない。

 

2012年10月 6日 (土)

みんな読んで恥ずかしいニュース

これが日本一のものづくり・人づくり王国の見識なんです。全国のみなさん、こんな教育者たちを許せますか。教育界はもう子どもたちを教育する資格も失ってしまったのではないか。安心してこどもを学校にあずけられなくなってしまった。

 

今朝(6日)の静岡県内の新聞各紙が一斉に報道した。「月命日『パーティーですか』中2転落死、浜松市教委、遺族に発言、謝罪」(朝日新聞)、「月命日『パーティーですか』浜松・中2転落死、市教委職員、遺族に不適切発言」(静岡新聞)…浜松市の中学2年の男子生徒が自宅マンションの屋上から転落死した問題で、月命日の9月12日、生徒の自宅を訪れた市教育委員会の担当者が「今日はにぎやかですね。パーティーですか」などと発言していたことが分かった。市教委は5日に不適切だったと遺族に電話で謝罪した。

報道の中身は各紙ともほぼ同じで、いずれの新聞も2段~4段格で扱っている。いじめ、いじめ死事件の深刻さや教委職員のいい加減さをどれだけ深刻に受け止めているかがその扱いようで分かる。他に大したビッグ・ニュースもない日なのに…と感じた。

 

生徒は自殺の可能性が高いため、第三者調査委員会が今、いじめが自殺の背景にあったかどうかの調査を進めている最中。当日は市教委の担当者2人が遺族から話を聞くため自宅を訪問した。担当者の1人が家族や近所の人たちが集まっていたので「パーティーですか」と話しかけたという。その職員は「大勢の人が集まっていたので、にぎやかですね…という意味で発言したが、不注意だった」と反省している。自分がどこへ、どんな用件で訪れているかもわきまえていない。通りがかりに立ち寄って世間話でもしているようなつもりだったんだろう。

そんな頭も心もすき間だらけの人間にいじめられて苦しんでいる子どもたちのことなんか分かるはずがない。そんな人間をいじめ問題の担当者にしている人事が信じられない。

 

生徒の父親は「まったく理解できない。きょういくに携わる人の言葉ではない。あきれている」と憤っている。浜松市と言えば日本で最初にテレビを生み出したものづくりの王国だ。数多くの世界的企業を生み出し、静岡県内トップの教育先進地でもある。静岡市とともに政令指定都市として教育をはじめとするさまざまな改革や先進的な取り組みをしているが、肝心の市教委がこのていたらくではお話にならない。

遺族に対して電話で謝罪したというあたりも事の重大さに気づいていないからだろう。謝れば済むとでも考えているんだろう。謝るだけならサルでもできる。

こういう教育界だから自分たちで問題を解決することもできない。この中学校でもそうだが第三者調査委員会に丸投げしている。全国どこでも悲劇を招いてはならないと歯をくいしばっていじめ対策と取り組んでいる時に恥ずかしくないのか。

この恥ずかしいニュースを全国の皆さんに読んでもらいたい。

2012年10月 5日 (金)

これぞ橋下流だ

                     

「日本維新の会」代表、橋下大阪市長が次の衆院選ではみんなの党と1つの固まりになるのが本来のあり方だと唐突発言、よりを戻して連携をさぐることになった。勢いがある時は蹴っ飛ばし遠ざけておきながら形勢が悪くなれば平気で自分から仲直りをしようと言い出す。似たような首相もいるが恥も外聞もない。まさにそれが橋下流なのだ。

 

 橋下代表は、強気と弱気が混在する典型的な風見鶏政治家だ。「オレが日本を変えてやる」「オレは独裁者だ」と大言壮語で人々を驚かせ、大阪都構想の実現に反対する大阪市長を追い落とすために自ら大阪府知事を投げ出して大阪市長に転向する。横綱から関脇・小結に降格しても目標達成に身を落として見せる。かっこうがいい。そういう勢いが持ち前の政治家だから逆に落ち込む時も早い。今度のみんなの党との「復縁」ばなしはその典型的なケースだ。

 「日本維新の会」として国政進出を果たしたが、予想外に国民の期待度が低い。比例代表区の投票先調査では自民党、民主党に次いで3位だった。朝日新聞調査では2ケタ支持の自民党、民主党に大きく離されてわずか4%だった。トップ、悪くても2位と踏んでいた橋下代表はがっくりした。「これが国民支持の実像だ」「ちょっと浮かれてたから、これからです」と失望の色を顔から隠そうとしたが駄目だった。直後の国会議員団の発会に当たっては言わずもがなの「調子に乗るな」と吐いてしまった。

 

 みんなの党との復縁の背景は、その期待外れの支持率数字に加えて、自民党の支持率が回復し、裏で気脈を通じ、場合によっては連携も選択肢の一つにあった安倍総裁が「日本維新の会」をはっきり対抗勢力だと公言したことにある。それだけではない。スタートを切った国会議員団の独走への不安である。就職のための面接試験のように腹の底までさぐって入党させた国会議員団だが、遠く大阪にいて目が届かない代表を無視して勝手なことをやり出すかもしれない。それにはみんなの党と連携して牽制力になってもらうという腹だろう。

 それに政策が似通っているみんなの党と戦うことは選挙を厳しいものにこそすれプラスにはならない。世論調査ではっきりした支持の伸び悩みがそこまで追い込んだのだ。

 

 みんなの党の渡辺喜美代表と橋下代表は、大阪都構想などを通しての地方主権の確立や行財政・教育改革などで意気投合し関係を一気に深めたが、連携・合体構想を話し合う中で橋下代表がみんなの党の解党による合体を求めたのに、渡辺代表が「維新の会」を解体吸収する案をもって対抗、決裂した。みんなの党の参院議員が「維新の会」に合流するなどの動きもあって関係断絶は決定的だっただけにみんなの党では半信半疑のようだ。

 橋下代表は「次の衆院選では自民、民主、第三極という構図を提示するのが私たちの責務であり、みんなの党とは一つの固まりになるのが本来のあり方だ」と述べ、「みんなの党と仲たがいしているというメッセージを私が出してしまったなら正さなければならない」と語ったそうだ。これからはお互いの幹事長協議を通して選挙調整を進めるという。

 うまくいくかどうか知らないがこれでまた渡辺代表がちょっぴり優位に立ったのは確かだ。こんな気まぐれ屋を政治再生の救世主呼ばわりしている世の中もどうかしている。

2012年10月 4日 (木)

原発投票条例、辛うじて修正案提出へ

全国が注目していると書きたいところだが、全国の心ある人たちが人間不信の中で見守ってきた浜岡原発再稼働の是非を問う県民投票条例案は、地元静岡県議会の民主党の一部が修正案を提出することで辛うじて審決の舞台にあがることになった。

 

議員定数66のうち過半数を超える37議席の自民党が原案に反対、修正案も出さないことを決定。知事与党の民主党・ふじのくに県議団も検討を重ねたものの、やはり原案反対、修正案も出さないという方針を決定した。

原案に反対する表向きの理由は、いくつかの修正を要するということだが、条例請求した市民団体側は修正を受け入れると言っており妥協は見出せるはずだ。例えば原案で「18歳」となっている投票資格年齢を「20歳」と改めるとか、「施行から6か月以内」となっている住民投票の実施時期を「浜岡原発の安全対策が完了した時点」と改めるなど修正は決して無理ではない。県民投票の投票・開票事務についても市民、県民の直接民主主義の実践の場とすれば市町が実施を拒めるわけはないだろう。

 

要するに条例請求の市民団体に特定な政党勢力の色を感ずるのかもしれない。本欄でこれまで主張してきた通り、人の命を守るか、末代に及ぶ恐怖を取り除くかという誰にも影響する問題なのに政党・会派、イデオロギーの渕にはまり込んでかけひきをやっている。

県議会の仕事は県民、住民の声をできる限り政治や行政に反映させることだ。その声を封殺する道を探すことではない。そういう政治姿勢が政治不信を募らせ、政治と市民、政治と国民の間を遠ざけてしまったではないか。

 

野田首相や田中原子力規制委員長の会見を聞いても、規制委員会は安全性確認が役割であり再稼働するかどうかの判断はしないと田中委員長は言い、首相は安全性を判断し再稼働を決めるのは規制委員会だと丸投げの姿勢だ。不安でしょうがない。

そんな政府や規制機関に頼っていたら第二、第三の「福島」は避けられないだろう。専門家や政治家がお互いに責任をなすり合って、根拠もない安全神話を信じて、取り返しもつかないような事故を引き起こしたのが福島原発事故だ。その惨憺たる結果、痛みを一方的に背負わされているのが市民、住民だ。それはひどすぎる。

再稼働をどうするか、私たちにも判断に加わらせてほしい。そういって市民が投票の機会を作ってほしいというのに県議会がフタをしちゃうっていうのはどう見ても民主主義じゃない。

 

民主党の一部が修正案を提出する方向だと言い、16万5000人の署名は辛うじ葬り去られずに済んだ。賛同者が増えることを期待したい。すでに修正案を提出しない方向で話がまとまっているといわれる自民党や民主党は、採決にあたっては縛りをかけず自主投票にするなど議員1人ひとりの判断にゆだねるようにすべきだ。

34万人もの人がまだ避難生活を余儀なくされ、地域ごと町ごとふるさとを捨てなければならない暮らしに追い込まれている被災地の現実に思いを至すべきだ。県議一人ひとりが将来に対して責任ある答えを出すよう求める。

2012年10月 3日 (水)

改造内閣で早くも舌禍

 

改造内閣の閣僚が早くも舌禍だ。三井厚生労働大臣が、無料扱いになっている生活保護受給者の医療費に一部自己負担を求める見直し方針を突発発言していたが、受診抑制を引き起こす恐れがあるから慎重にしたい、とわずか半日で訂正会見を開いた。だが、配信済みの通信社記事の訂正まで手が回らなかったのか、見直しをするというインタビュー記事がそのまま新聞に出てしまうというチグハグぶりだ。

 

大臣になった嬉しさのあまり調子に乗って舌禍を起こし、辞任に追い込まれた大臣が民主党には結構いる。東日本大震災の復興担当相になった松本龍氏が、現地訪問で訪れた宮城県庁で面会を待たされたことに腹を立てて知事に不遜な言葉を吐いて引責辞任した。福島の原発事故被災地を見舞った鉢呂経産大臣は、人っ子一人いない死んだような町だったと語って被災地の反発を買い、これも引責辞任に追い込まれた。

 

今度の三井厚労相の場合も軽率と言えば軽率で、またまた思いつき発言のようだ。ただ、一部自己負担という考え方は最近専門家の間でも出ている考え方であるため、一度に反発が燃え上がらなかったのが救いだ。それに解散・総選挙を控えていることから党内が早く動いて発言訂正も早かった。しかし、舌禍は舌禍だ。これから社会保障制度の一体改革が議論される中で取り上げられ、問題再燃の可能性だってある。

 

生活保護受給者はついに211万人を超えた。高齢化が進んで身寄りのない困窮者が増えていることもあるが、長引く不況で職を失う人が増加し、働き盛りの受給者も増えている。生活保護費はすでに3兆円を超えているが、憲法で規定した「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」ものだから、制度改正は慎重でなければならない。

受給者の医療費である「医療扶助」は保護費全体の約50%を占めている。受給者の3割が病気や障害を抱えた人で、高齢者も4割を超え、医療の救いに近いところにいる。

 

不正受給が増えている一方で支給条件の厳格化などを求める声も出ており、本当に制度の助けが必要な人たちにまで不安を与えている。医療費の見直し論として一部を自己負担させるという意見もないではないが、それを実施した場合、生活に困った人が必要な医療も受けにくくなるという心配がある。

そうした事情を考えると、就任早々にその自己負担に話が及んだあたりが三井氏の厚労相としての適格性が問題になっても不思議ではない。そこまで野党を含めて今の政界が人間性豊かでセンシティブな人たちの集まりかどうかが問題なのだ。

2012年10月 1日 (月)

「不適材適当に配置」内閣だ

人材難の政権だから仕方がないが、いよいよ極まれりだね。発足した野田第3次改造内閣の顔ぶれをみると限られた人材が党役員や大臣を行ったり来たりする、いわば「ポストたらい回し内閣」と言っていい。みんな子どものようにうれしそうだ。

野田首相は、それしか言葉を知らないのか、「機能強化」と改造のねらいを宣伝していたが、目の前にいたら「へ~え、どのあたりですか」と聞きたいくらいだ。

 

「機能強化」だけでは足りず、「適材適所だ」とも言ってたが、「不適材適当に配置」内閣じゃないのか。衆院解散・総選挙をにらんで戦力が強化されたかに見えるが、それがかえって瓦解の危うさを抱える。城島氏の財務相起用はその代表だ。消費増税法案の成立に向けて国対委員長として野党を籠絡したことに対するご褒美だが、野党は2度と騙されはしない。

総務相に出世した樽床氏は幹事長代行として輿石幹事長をよく補佐したところを買われたものだが、いずれも典型的な論功行賞人事だ。党内にも不満が渦巻いている。

田中真紀子元外相の文部科学相や前原前政調会長の国家戦略相は、明らかに総選挙向けの起用だが、思惑通りになるかどうか危なっかしい。元々、口論型の政治家で口を開けば舌禍の危険がついて回る。すでに田中氏の人気には陰りが出ており、自民党の小泉内閣での外相時代の失政をみれば文科省当局との軋轢や対立を早くも心配する声がある。

少なくとも国家百年の計たる人づくりを担う文部行政のリーダーは高潔にして豊かな人間性に裏打ちされた人格が求められる。今もって「じゃじゃ馬」と称されるような人格が、たとえ歴史に名をとどめるような大政治家の血脈を受け継ぐにしても、ふさわしいとは思えない。それでも選挙戦を戦う上で必要だったのだろうか

 

それより何より今回の改造人事で野田佳彦という政治家、人間の裏に隠された傲慢さ、いや、残虐性のようなものが明るみになった。政界、一寸先は闇とか、権力は戦い取るもの、息遣い一つまで疑ってこそ生き残れる…など、人間不信を前提にすべしという教えが政界にはあるが、先の代表選を思い起こしてほしい。

その代表戦で野田政治を批判し、糾弾した3人の敵を野田首相ははらわたが煮え返るような思いで聞いていたに違いない。そしてその恨みをきっちりと改造人事で返したのだ。代表戦で戦った原口元総務相、鹿野元農林水産相、赤松元農水相を支持した議員をただの1人も入閣させなかった。それが遅からずして党内の不平不満に火をつけ、自らの身に迫ることは百も承知しているのだ。ゆったりとした環境の中で育ってきた人間でないことがうかがえる。

自らをドジョウと呼び、泥にまみれて国民のために生きる。そう言って庶民、国民とともにある政治家であるかのごとき発言をばら撒いて政権の座に就いたが、その本心はドジョウでもナマズでもない。立ち向かってこれるなら来てみろ!と圧する大ザメなのだ。

東日本大震災の被災地、福島原発事故対応にも格別意を配ったようにも見えない。政権の終わりのはじまりのように見えて仕方がない。

 

 

近いうち-は国民への約束だ

新聞、テレビにかかると言葉はとんでもないものに変わってしまう。野田首相の近いうち解散は「国民への約束」だったのに、民主、自民両党の党首選が終わったら、途端に「壁」になってしまった。これだから野田首相が平気でうそをつくんだね。

 

野田首相の「近いうち」解散発言は、早期解散を迫る自民党の谷垣総裁(当時)との話し合いで首相自身の口から出たもので、首相が「政治生命をかける」と言っていた消費税率引き上げ法案の成立に自民党が協力することと引きかえだった。

それも口のうまい首相が何とかかんとか言って解散を引き延ばそうとした挙げ句のことだ。消費税率引き上げ法案が成立したらそう遠からず時期に国民の信を問うと言っていたのに、法案が成立すると途端に「衆院の一票の格差是正も赤字国債発行関連法もある」と言いだし、自民党や野党をやきもきさせた。

国会の解散は首相の専権事項であることを承知の上で谷垣総裁は野田首相に解散の時期を明確に示すよう迫った。そのたびに首相は遠からず解散に踏み切るような印象をまき散らしながら引っ張った。ズルズル引っ張られる谷垣総裁に党内からは「お人好し」「甘すぎる」と批判があびせられ、野田首相に消費税率引き上げ法案を食い逃げされてしまうのではないかという焦りの声が野党で広がった。

「近いうち」さえ怪しくなったところでついに自民党は野党7党が提出した野田首相に対する問責決議案の国会採決に参加、賛成に回って対決姿勢を鮮明にした。

 

野田首相は党代表戦を圧勝し続投が決まると途端に態度を硬化し、「問責決議によって状況が変わった。近いうち-の約束は守れなくなった」といつものずる賢い野田佳彦に戻ったままである。そこを突いて新聞、テレビは安倍政権にとって「近いうち解散を実現させることができるかどうかが壁だ」と筆と口をそろえている。

党首が対談し、政治生命をかけるとまで言った重要法案の成立に協力させ、「近いうちに」といった約束をズルズル引き延ばしている野田首相の姿勢は信頼、信用を元とする政治家としては常軌を逸しているといえる。

もちろん野田首相が再選、続投が選択されたからといって「近いうち」が反故にされるものではないし、谷垣さんから安倍さんに自民党総裁が代わったからからと言って約束が消滅するものでもない。それは国民への約束だからだ。

野田首相に対する問責決議だって当然、臨時国会でも効果は継続する。今年度予算の財源確保のための特例公債法案の成立に協力することを条件に自民党は「近いうち」解散の履行を強く求めていくことになろう。また、そうすべきだ。

なぜ、新聞、テレビは「約束通り近いうち解散を履行せよ」「消費増税の食い逃げは許さないぞ」と訴えないのだろう。何がこわいのだろう。

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ