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2012年10月11日 (木)

浜岡原発、住民投票断たれる

こんな県議会ならいらない。傍聴席は怒りと落胆が交じり合ってどよめいた。全炉停止中の浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案は、地元、静岡県議会を突き動かすことができず圧倒的反対多数で否決されて終わった。一部の超党派議員たちによって提出された修正案も賛同者を広げることができず、むなしく葬り去られた。

 

再稼働に賛成か反対かだけでなく、原子力とどう向き合っていくか、どんな距離で暮らしていけばいいのか、原子力の活用と安全を県民一人ひとりが考える機会になればとも期待されていたのに、その思いも封じられてしまった。それがやがて自分の子どもや孫たちに暗い影を落とすようなことにならないことを願わずにはいられない。

 

議会の役割は住民の声をできる限り政治や行政に反映させることだ。その声を封じこめる道を探すことではない。条例案に修正すべき点がたくさんあったなら議会あげて修正に取り組むべきだった。それをやり尽くしたと言えるか。修正できない欠陥ではなかった。それを最初から排除の理由にしていなかったか。住民自治にギロチンを落とす仕打ちになっていなかったか。

 

条例案をまとめたのは一般市民だ。間違い、過ちが多かったのは仕方がない。それを修正、指導するのが県や議会のあるべき姿だ。少なくとも市民団体が修正点が多すぎると叱り飛ばされるなんておかしい。そんな民主主義があるか。それが住民自治だと言えるのか。

 

確かに浜岡原発は安全対策が進行中で、今、再稼働の是非を問うタイミングではないかもしれない。それなら総務委員会の集中審議で参考人から指摘があったように、安全対策が整った時点で問うことにし、継続審査にして条例案の扱いを先延ばしする手だってあったじゃないか。

何が何でも条例案を葬り去ってしまおうという空気を市民団体に感じ取らせてしまったのは悔やまれる。県民投票をやれば反対の審決が出るということを恐れたのだろうか。

 

議会は否決の理由をきちっと16万5000人の署名人はもちろん県民に説明しなければならない。「修正箇所が多すぎる」だけでは説明にならない。再稼働そのものについて議会はどう考えているのか、今後どう取り組んでいくのかを説明して否決そのものを理解してもらう丁寧さ、優しさが必要だろう。

 

これまでにも本欄で繰り返し主張してきた通り、命を守る、末代に及ぶ恐怖からどう身を守るかという誰にもかかわる重大事なのだ。禍根を残してはならない。

国の原子力規制委員会や電力会社が明確な判断を示していない中で素人の県民が何を基準にして判断するのか。そういう声が参考人の一部から出ていたが、それこそ県民を愚弄するものだ。原子力の専門家たちが想定できなかった原子炉の溶融、メルトダウンが起こり、恐れて想定を回避した「取り返しがつかない事態」が現実になったじゃないか。

 

再稼働判断をめぐる責任は、政府中央で政権と原子力規制委員会と電力会社との間であびせっこしている。専門家も政治家もまったくアテにならない。命がいくつあっても足りない。

ひとたび原発事故になればその痛手は一方的に市民、住民が背負わされる。再稼働の判断に私たちも加わらせてほしい。その願いは生きる権利の一部だ。その願いに多数をもってフタをしちゃった。寝覚めが悪くありませんか、県議のみなさん。

 

(お詫び)10日付け「政党助成金…」の冒頭は「民主党」でした。訂正します。

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