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2012年11月30日 (金)

文科省に評価通知の資格ない

文部科学省がいじめを隠さず、適切な対応をした教員を評価するよう求める通知を都道府県教育委員会などに出したという。別に間違ったことをやっているわけではないが、ことさら通知しなければならないことなのだろうかとも考えてしまう。こういうことしかできないのが文科省なんだよなあ…とも思う。

 

確かに「いじめ死」という最悪の事態を招いてしまった学校、教育委員会の対応を見ていれば文科省としては何でも注文できることは注文しないと流れを断ち切れない。そう考えてしまうに違いない。直接、いじめ被害の児童・生徒から申告があっても手が打てず、話さえ聞いてやらない先生がいる。その結果が最悪の事態につながっている。加えて校長や教頭、さらに教育委員会も責任感が希薄でいつでも逃げ回る。

 

親たちへの報告や報道陣への説明でも最初から逃げることしか考えていないから被害児童への悼みや謝罪の言葉がない。普段から児童・生徒に寄り添っているのかどうかさえ疑いを持たれてしまう。その根っこは私の現場取材の経験でも教育界に巣食っている「立身出世主義」にあるように思う。中には教壇に立つことを天職とし児童・生徒に寄り添っている先生もいなくはないが、ごくまれだ。

 

すでにそいう志を放棄してその日暮らしの教員生活を送っている人も残念だが大勢いる。

教育委員会も教育現場に輪をかけて「立身出世主義」で凝り固まってしまっているので、いじめなどの問題から逃げたがる。いじめの発生やその対応のまずさが学校の評価や教師・校長・教頭の評価と人事につながるのでは当然だろう。だから、学校現場はいじめの発生やそれに伴う親とのトラブルを厄介ものとして隠したがる。

 

校長や教頭を核にしていじめを隠そうとする構造が出来上がってしまっている。だから、こうした通知や勧告が行われた後の一定期間はまじめな取り組みがみられても、やがて元に戻って隠したりごまかしたりするように戻ってしまう。いじめの発生報告が極端に多かったり、逆に激減したりするのはそのためだと思われる。結局は子どもをめぐるいじめ問題は本質的に何一つ改善されない。文科省が根本的に教育界の構造的病弊であるという認識に立たない限り通知は一片の気休めに過ぎない。

 

文科省の通知は、いじめの有無や件数で評価せず、未然防止や早期発見、いじめに対する迅速な対応などを評価するよう求めているが、教育委員会と学校現場との関係がそのままでは評価そのものが改善されるとは考えにくい。それに文科省自体が教育委員会や学校幹部から意見を吸い上げている現状を変えないといけない。子どもたちと接している教師たちの声にもっと耳を傾けるべきだ。文科省に評価通知の資格はない。

 

 

川柳「朝囀」 自らに 通知がほしい 文科省     ()

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