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2012年11月28日 (水)

これがマニフェストと呼べるのか

民主党が衆院選マニフェストを発表した。財源や実現時期は掲げず、つまり「票」と「人気」だけを当て込んだもので、さんざんだった2009年衆院選マニフェストから様変わりしている。財源や実現時期を示さなかったのは「現実対応を考慮した」というが、ものは言いようとはよくいったものだ。実現できず批判にさらされた時に備えて逃げ道を作っただけではないのか。

 

「脱原発は民主党の政策だ」と野田首相が声を張り上げているが、「2030年代の原発ゼロ」といっても原発をどのような計画、手順で減らしていくのか、何も示していない。TPP交渉参加だって逃げ道づくりだ。日中韓FTA交渉を同時並行で検討し「政府が判断する」とごまかしている。党内の反対派に配慮した結果だというが、そんな姿勢は不真面目だ。引き続いて政権を担うという決意も伝わってこない。

 

野田首相が国会解散と引き換えに野党に迫った「衆院の定数削減」では小選挙区の「0増5減」法成立を踏まえ、比例代表を念頭に「75削減」を掲げたが、実現の決意は伝わってこない。東日本大震災からの復興を最重点に福島原発事故の影響に苦しむ福島の再生を掲げたが、具体的な取り組みは全くない。被災地の「生きる権利の保障」という視点で見れば、何の約束もしていない。無責任極まる。

 

財源や実現時期の工程明治を避けたことは2009年マニフェストが政権を奪うための方便に過ぎなかったことを自ら認めたものだ。それでも子ども1人中学生まで月額2万6000円を支給すると掲げた「子ども手当」、月額最低7万円を支給すると約束した「最低保障年金」はともに破たんしたにもかかわらず、なおも「実現をめざす」と言い張り、「票」や「人気」ねらいだけは温存した。ポピュリズム政治そのものだ。

 

しかも許せないことは「税と社会保障の一体改革」についても社会保障改革国民会議の議論を経て進めると丸投げし、政権党としての基本理念さえ示していない。政権運営への責任が少しも伝わってこない。ここまで骨抜きになってしまったにもかかわらず依然として「マニフェスト」と唱えていることが理解できない。従来の口約束、アドバルーンに過ぎなかった「選挙公約」に過ぎないではないか。

 

それに新聞、テレビをはじめメディアにも猛省を促したい。2009年衆院選で政権交代を引き寄せながらマニフェストの大半を実現できないと判明した時、「財源予測が外れることはよくある」「マニフェストは必ずしも守る必要はない」などという論陣を張ったのをお忘れだろうか。その新聞、テレビが「工程を示さないのはけしからん」「政権が逃げてどうする」なんて批判ができるんですか。

 

川柳「朝囀」 マニフェスト 若者ことばで サギフェスト   () 

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