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2013年7月18日 (木)

参院選狂想曲に浮かれているときか

 原因、背景に何があったのか知らないが、16歳の少年少女たちが仲間の一人に集団暴行を加えて殺し、山の中に棄てた。

現場ではじめて出会ったばかりだというのに暴行に加わった者もいる。

広島県呉市の少女遺体遺棄事件は、捜査が進むにつれて人を人とも思わぬ若者たちの軽薄な生命倫理が浮かび上がっている。

 

 16歳といえば4か月前にはまだ中学生だった。

彼や彼女たちはどんな中学生だったのだろうか。

明るく元気に学び合い、クラブ活動に汗を流し、笑ったり泣いたり、天真爛漫な一人ひとりだったに違いない。

それがなぜ人、それも友を虫ケラのように殺して棄てるように豹変したのか。

 

 小中学校に目を移せば次々と心配事が起きている。

いじめ防止対策推進法などという法律まで作ったのに一向になくならない。

「死ぬ」「消えろ」と言われた中学生がマンションから飛び降りて死んでいる。

学校はいじめの事実を受け入れたくないから生徒への聴き取り調査だと言って時間稼ぎをする。

中にはいじめに加担しながらそれを否定する卑怯な教師もいる。

 

 次の時代を担う若者たちがここまで狂気を帯び、一方で傷ついてしまっているのに教育界は何もなかったように沈黙している。

肝心の政治は、選挙という欠くべからざる国事とはいえ、参院選狂想曲にうつつをぬかしている。

働き場のない若者たちがあふれ出ており、少女を殺した少年少女たちも大部分が「無職」だという。

 

 少年少女たちのこんな凶悪事件をかばうつもりは毛頭ないが、少年少女を社会から抜け落ちたままにしていないかと心配になる。

銀の匙をくわえて生まれてきた一部の人間だけが既得権に守られて生きていく…貧しきは貧しいままに日かげをとぼとぼと生涯をたどる。

そういう社会になっていないだろうか。

そんな社会の吹き溜まりに次代の担い手たちを追い込んではならない。

 

 

川柳「朝囀」エライ人 なぜか次代に 目が向かず  ()

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