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2013年9月11日 (水)

大震災から2年半、同情ばかりで前へ出ず

 

 

 東日本大震災から2年半だ。

今もなお約10万人がプレハブ仮設住宅に暮らしている。

いや、暮らしているのではない。風雨をしのいでいるのだ。

東京五輪招致は嬉しい…でも、その準備のために莫大な財源が必要になる。

そっちに予算を取られて復興はまた遅れるかもしれない…その心配が先になる。

 

 2年半…わが家へ帰る日を待つ人々にはとてつもなく長い。

悲しいかな人間は生身だ…あの日の悲しみや恐怖は薄れる。

被災地はそれをひしひしと感じとる…私たちは棄てられると心を痛める。

その悲痛な思いを癒し、明日に希望をつなげさせるのが政治だ。

そして全国から寄せられる励ましの声だ。

 

 でも、残念ながらそのいずれもかぼそい。

節目、節目に新聞やテレビが報ずる特集記事は政治を動かす力がない。

ましてや暖衣飽食でゆるみ切った世論を喚起する熱がない。

それを肌で感じ取る被災地の人々は棄てられているとの思いを強くする。

悲しみに二重三重の追い打ちをかけているのだ。

 

 わが家を追われ仮設暮らしを続ける人たちの自殺には言葉もない。

家族を失った悲しみに加えて働く場もない。相談する先もない。

気持ちがふさぎ、心を病み、最悪の選択に走ってしまう。

若い人たちの見回り活動にも限界がある。見回りの空白になった時に悲しい結末を迎えてしまうことが多い。

 

 阪神大震災の時だってそうだった。

それなのにその教訓を今回、また生かせないでいる。

「被災地」「被災者」という言葉にあきらめのような概念を込めてしまっている。

励まし、希望を与えなければならないのに、言い逃れのように使っている。

これからは「被災地」「被災者」でなく「東日本の仲間」と呼ぼう。

そしてみんなで生きる望みをよみがえらせよう。

 

 

  川柳「朝囀」 2年半 同情ばかりで 前に出ず  ()

 

 

 

 

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