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2013年9月11日 (水)

本当に被災地を忘れたことなかったか

 テレビ局のリポーターにマイクを向けられた10人中10人が東日本大震災のことは「忘れたことがない」と答える。

失礼ながら、一瞬、本当だろうかと思ってしまう。

本当は「忘れたことがない」ではなくて「覚えている」ではないのか。

 

 「忘れたことがない」という表現は積極的な思いが込められている。

だが、「覚えている」という表現にはそれほど強い意思が感じられない。

ことばは悪いが、その程度ではないのか。

それも聞かれたから思い出した、答えたというところだろう。

「3・11」の風化は想像以上に進んでいる。

 

 例えは不適当化も知れないが、衆院選挙や参院選挙の前に「今度の選挙には関心ありますか」「投票には行きますか」と聞かれると10人中8、9人までが「関心がある」「投票には必ず行く」と答える。

だが、実際の投票日には半分程度しか行かない。

この落差が大震災への意識の風化に似ているように思う。

 

「3・11」から2年半たった11日、あなたは被災地にどんな思いを伝えたか。

あの悪夢の時刻、午後2時46分に何をしましたか。

黙祷し、被災地の人々と心を1つに亡き人たちの冥福を祈りましたか。

放射能汚染水の漏出が深刻な問題になり、海外からも厳しい批判を受けています。

国の対応遅れを改めさせなければならない。

 

それを国に受け止めさせ行動させるために具体的に何かをしましたか。

愚痴る程度で、自分の思いを政治につなげるところまでいかなかった。

声なき大衆、サイレント・マジョリティーの一人ではなかったか。

そういうお前はどうなんだという声が返ってくるでしょうが、私は何度か被災地に足を運び人々を励ましてきた。下手なブログを発信し大震災への思いを風化させてはならないと訴えてきた。

 

だから、偉そうに言っているのではない。

私たち1人ひとりが何をすべきかを考えなければならないのだ。

私たちは一つの運命共同体の中に生きている。

他人の苦しみ悲しみは自分の苦しみ悲しみだからだ。

1人ひとりの言葉が被災地を勇気づけ、1人ひとりの祈りが復興につながる。

そういう普通の国でありたい。

 

川柳「朝囀」 「絆」とは 傍観者たち よく使う  ()

 

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