なくならぬ体罰、スポーツ推薦を全廃せよ
大阪・桜宮高校でバスケットボール部主将の2年男子が顧問教師の体罰に苦しんで自ら命を断って1年になる。あんなに大騒ぎをしたのに教育現場では体罰がなくなるどころか史上最多記録を刻んでいる。
社会に体罰容認論があるからだという。その背景には子どもの精神鍛錬を顧問教師に丸投げするという親たちの無責任がある。
本当にそれだけだろうか。
本欄は体罰容認がはびこる根っこにスポーツ推薦による進学、就職の制度があることを指摘し、その改善を求めてきた。
進学や就職の実績を出してくれるなら多少の体罰も構わないという親たちが多い。
むしろそういう指導を望んでいる。
そういう社会が勉強かスポーツかという教育の二極化を生んでいる。
進学指導は学力かスポーツの成績で振り分けられ、全国大会上位入賞者はほとんど希望する高校、大学、職場へ推薦してもらえる。
そういう実績をあげた指導者は学校が大事にしてちやほやする。
もちろん実績をあげるべく指導者にもプレッシャーがかかる。
指導が厳しくなり、指導力の足りないところを体罰で補うようになる。
そんなことでは推薦の枠から外してしまうぞ、などという暴言が浴びせられる。
生徒の方も推薦してほしいのがやまやまだから体罰、暴言に耐える。
その結果は、体罰、暴力、暴言がスポーツ技量を維持する決め手になってしまう。
それに耐えられなくなった時に生徒が親に相談することもできず自らの生涯を断つことですべてを終わらせる。
自死というむごい結果にならないためにはスポーツ推薦制を廃止するしかない。
文科省は指導と体罰の違いを分からせるといって特別に手引書を作って教育現場に配布したのに1年も経ずして書架でほこりをかぶっている。
そんなもの読んだこともないと公言する指導者もいる。
文科省はそのことは想定の内だというのだから2度びっくりだ。
文科省はスポーツ指導が子どもの死につながっている事態をどう受け止めているのだろう。体罰は指導ではない。暴力であり、犯罪なのだ。
そんなタコ部屋のような部活動で育てられたスポーツ技量は推薦の価値もない。
川柳「朝囀」手引書を 片手に体罰 やる教師 (誠)
http://gonbee-72.cocolog-suruga.com
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