69回目の「8月15日」、あの日の誓いを思い起こそう
69回目の「終戦の日」を迎えた。
あの日、私は5歳だった。もの心ついたら戦火の真っただ中、昼も夜も雨あられのように降る焼夷弾の下、母の後を追って防空壕に逃げ込む日々だった。怖かった、本当に怖かった。防空壕の奥で汗びっしょりになって空襲警報の解除を待つ…恐怖感が髄までしみ込んだ。恐怖が原体験になるような人生は私たちだけでいい。
あの日の昼、防空壕の前で母たちが泣いていた。木箱の上におかれたラジオからかすれて波打つ声が流れていた。天皇が戦争終結を伝えた「玉音放送」だと後に近所のおじさんたちから聞いた。前途ある有為な若者を南の海やジャングルに散らし、国民を死に追いやった狂気は繰り返してはならない。
英霊や戦死者を悼む心は尊いが戦争を美化してはならない。
そのために追悼の仕方をそろそろ考えた方がいいようにも思う。
祭壇をしつらえくる年もくる年も同じような言葉を並べる官製の慰霊祭でいいか。ぞろぞろと黒づくめの集団が並んで参拝するやり方がいいか。
それを英霊や戦死者が本当に喜んでいるだろうか。1人ひとりが静かに手を合わせるやり方が一番自然だし、思いが伝わるような気もする。
1億2千万人、1億2千万の追悼、悼み方があっていい。そうあるべきだ。
「終戦の日」を挟んで報道される新聞、テレビを見ていると決まり決まった追悼の仕方しかないような姿になっている。懐古調、美し過ぎるのだ。
それよりひかえめに静かに追悼する人々に目を向けてほしい。
平和へ、間違いのない道を歩んでいます―と胸を張って報告する姿こそ大切だ。
あの日の誓いを思い起こそう。誰もが心に刻んだ思い…もう、金輪際、戦争はしない。貧しくともみんなで力を合わせて生きていこう。迷惑をかけた国々に心からお詫びをしよう…日本中が最も素直で人間らしさを取り戻した一瞬だったように思う。「世界の孤児」になりかかった国を仲間として迎え入れてくれた国々への感謝も忘れてはならない。あの日は焼けつくような暑さだった。
川柳「朝囀」 あやしいな 平和の誓い 忘れかけ (誠)
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