« 舌禍はやっぱりこの人だ…麻生発言に党内ハラハラ | トップページ | 王さまの前で人の道説く…平和賞のマララさん »

2014年12月11日 (木)

学力テスト、公表は学校、教師にゆだねよ

 

 公表することに意義がある。公表しないことにも意味がある。

公表したいと考える人がいれば、公表しないでほしいと考える人がいる。

丸ごと公表すべしという人がいれば、一部にとどめるべきだという人がいる。

つまり、公表することにいい点とよくない点とがあり、どっちにするかを誰かが決めつけてしまうことには無理がありそうだ。

 

それなのになぜ文部科学省は公表に足かせをはめてしまおうとするのか。公表に道を開くのかと思わせて、それを一部に狭めてしまうのはなぜか。

全面公表することで何が困るのか。教育界にどんなことが起き、教育にとってそれがどう問題になると文科省は気遣うのか。成績が公表されると序列化をあおる、現場の先生たちが混乱するというのだろうか。

 

それは程度の問題ではないか。先生たちが授業に手がつかないような混乱になるだろうか。先生だって良識がある。序列化を誘う原因は学習塾や入試情報などいくらもあるし、大体、文科省が都道府県別に公表している成績そのものが序列化をあおる元になっている。よしんば混乱があるとしても先生たちは公表された結果によって触発され、授業力アップに取り組むだろう。

 

そういうプラスの面を無視して自分たちの言う通りにさせようというのは文科省の独善だ。教壇に立つ先生など現場をいかに信じていないかを如実に物語る。

そんなことで国家百年の計たる教育を生き生きとした活力あるものにできるわけがないだろう。教壇に立ったこともない文科省の役人が机の上で考えたことが多様な価値観に支えられる教育に生命を吹き込むことなんかできない。

 

はっきり言おう。学力テストの結果を公表するかしないか、どんな形で公表するかは県教委でも市町村教委でもない、個々の学校に委ねるべきだ。

一番大切なことは子どもたちと向き合う先生たちに学習到達度を高める情熱と工夫を持ってもらうことだ。文科省や教育委員会の権勢欲、支配欲を満たすことではない。教育現場をもっと信頼し敬うべきだ。

 

川柳「朝囀」 文科省 庭には不信の あだ花が  (誠) 

 

 

 

 

 

 http:gonbee-72.cocolog-suruga.com

« 舌禍はやっぱりこの人だ…麻生発言に党内ハラハラ | トップページ | 王さまの前で人の道説く…平和賞のマララさん »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

それは違うと思いますよ。

日教組達がどれだけ日本の子供達に(日本に対する誇りを奪う教育を)行なってきたのか。

『現場を信じない』のではなくて、信じたくとも『信じられない』のでしょう。

個々の学校で決める?
冗談じゃない。信じられるものか。そう思う親御さん達の方がずっと多いと思いますよ。
少なくとも私のまわりの人々はその方が多いですね。

それに現場というなら、あなたは現場のヒト達に意見を聞いたのでしょうか?
『個々の学校で決めようとするのは、かえって現場に混乱をもたらしかねない』という意見は無視ですか?

もし、個々の学校で決める事となったら会議や組合はどうなるのでしょうか?
会議が増えたり、現場の負担が増すから嫌だという先生(特に若い先生)の声は?

現実問題として、団塊の世代の教師達の大量退職にともなって、世代交代で若い(というより経験不足)の教員が増えているのですよ。
そんな問題に時間をとられるのは嫌だ。そんな時間があるなら教員の技量を高める講座に行った方がましだ。という教師に声は聞いた事がないのでしょうか。

   
     
      

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 学力テスト、公表は学校、教師にゆだねよ:

« 舌禍はやっぱりこの人だ…麻生発言に党内ハラハラ | トップページ | 王さまの前で人の道説く…平和賞のマララさん »

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ