抑止力、備えて使わせず…問われる国民の英知
集団的自衛権の限定的行使を軸にした安全保障関連法がようやく成立した。
安全保障の国際環境の変化に対応して抑止力を強める、つまり脅威に備える。
「備えて使わず」の抑制の中にとどめることが求められる。それを可能にするのは戦後70年かけて愚かな戦争を悔い改め、不戦と平和を誓う私たち国民の英知だ。
そのことを私たちはしっかりと心に刻むことが大切だ。
それにしても安全保障関連法案に「戦争法案」のレッテルを貼り、「わが子を戦場に送り出せますか」と投げ掛け、「戦争」の2文字で不安を煽った人々は今、何を考えるだろう。難解な集団的自衛権の概念を説いて理解を促すことは与野党の別なく、すべての国会議員のつとめだ。
それを最初から怠り政治闘争に狂奔した。国民の理解が進むはずがない。
集団的自衛権は、自分の国と密接な関係にある国に対して武力攻撃があった時、それを自国の平和を脅かすものとみなして対抗措置をとる権利のことだ。国連憲章はすべての国に認められた国際法上の固有の権利「自然権」と規定している。だから憲法に集団的自衛権を明記している国はない。国際社会は憲法より国際法が優先され、国家は国際法に基づいて行動する。
だが、日本は憲法至上主義だ。憲法はいじってはならない、「改憲ノー」の呪縛にかかっている。国の安全と存立を全うするための措置をとろうとする現実政治の前に憲法が立ちはだかっている。憲法9条2項は「戦力の不保持」「交戦権の否定」を定めており、集団的自衛権の行使には制限がある。だから、関連法は厳しい条件付きなのだ。それでも護憲論が「違憲」を唱え、法案審議の方向をゆがめた。
国の守りを後回しにできる道理などあり得ない。集団的自衛権は権利ではあっても、安保関連法はそれを行使することが本旨ではなく、抑止効果が狙いだ。
「法案つぶし」一点に絞った野党がその議論の道を断ってしまった。軍拡一途の軍事大国のアジアの海域における傍若無人、核開発が止まらない独裁国家、朝鮮半島の核保有ゾーン化…それでも脅威なしという野党の脳天気は不安だ。
国会審議の最終局面における野党の議事妨害の連発、審議の場にプラカードを掲げてなだれ込み、ハチマキ姿で詰めかけた堕落、さらには喪服に数珠で神聖な国会を葬式の場に演出した独りパフォーマンス…どんな理由があろうと、国民の支持を得られるはずがない。
そんな政治集団に「民意」「民意」と恩を着せられたくはない。
川柳「朝囀」葬式を 良識の府で 見る時代 (誠)
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