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2016年3月

2016年3月30日 (水)

戦争あおって政権手さぐり…ぼろもうけだね

集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法が29日施行されたのに伴って若者を巻き込んだ野党の反対行動が激しくなっている。折しも参院選挙、衆参同時選挙まで予想される事態とあって、あわよくば政権打倒の局面まで手探りするという激しいものになりつつある。投票権18歳化の流れに一歩早く乗った高校生までがデモに繰り出すという事態に大人たちはただオロオロするばかりだ。

 

合流新党の旗揚げと重なった民進党は、野党挙党体制の構築をめざし、平和と立憲主義を守る姿勢を強調した。共産党とは安保法廃止で歩調を合わせている。PKOの「駆けつけ警護」や自衛隊への新たな任務付与を安倍政権が先送りしたことを参院選でのマイナスを避ける狙いだと攻めまくるが、参院選へ若者や反対勢力を煽って火をつけているのはむしろ野党の方だ。

 

戦争法だ、戦争立法だと安保関連法に「戦争」のイメージを植え付け、若者や婦女子に対して殺す、殺されるといって「恐怖感」を煽っているのは野党だ。激変する国際情勢の中で安全保障をどう保持するのか、国の守りをどうしようとしているのか、全く示そうとしない。安保法制の違憲性を叫んでいるだけだ。平和憲法、平和主義を呪文のように唱えているだけで国家を守れるのか。

 

集団的自衛権の行使は主権国家が構成する国際社会では自然権であり、当然の権利である。当然の権利だから、それをわざわざ自国の憲法で規定しているような国はない。集団的自衛権の行使は戦争をするためではない。戦争にならないように備えるためだ。いうなれば「抑止効果」が生命なのだ。集団的自衛権の行使は備えて使わず、使わせず―それが本旨だ。

 

川柳「朝囀」「戦争」で 政権取れりゃ ぼろもうけ  ()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年3月28日 (月)

少女2年ぶり保護…千葉大生だった男の犯行。背景に無責任社会

 見ず知らずの男に声を掛けられ、車に乗せられたまま少女が行方不明になる。そして2年もの空白を経て保護される。もちろん、その無事な帰宅が何よりも喜ばしいが、なぜ住民のつながりが密なはずのこの小さな国でこんな事件が起きてしまうのだろう。何かがおかしくなってしまった。

 

 埼玉県朝霞市で下校後に行方不明になっていた女子中学生(15)を2年も監禁していた寺内樺風容疑者(23)はついこのあいだまで千葉大学生だった。大学に通いながら少女をどうして監禁し続けることができたのか。大学生として学業はまともにやっていたのか。過激派ISに加わろうと企てた北海道大学の学生やトルコから強制帰国させられた和歌山の青年…と、若者がおかしくなっている。

 

 政治家のみなさん、あなたたちにとっては選挙も新党もバッジを胸に付け続けるための選挙制度も大切かも知れないが、次代の担い手たちがこんな危ない状態ではそれどころではないでしょう。はっきり言って国づくり、人づくりを放置したまま政治ゲームにうつつを抜かしているわけにはいかないでしょう。世の乱れの元は政治の乱れにあるんです。

 

 覚えてますか。2000年の正月でした。新潟県柏崎市の住宅地のど真ん中の2階で小学2年生だった少女が9年2か月ぶりに37歳の男の監禁から救出されるという出来事があった。住宅地のど真ん中で監禁されているのに警察も近隣社会も捜し当てることさえできなかった。1人の少女の人格形成の大事な期間を社会は知らぬ振りで闇に葬ったんです。

 

 それが人権配慮の行き届いた社会、人を大事にする国だと言えるだろうか。こんないたましい事件が繰り返されるのは、それぞれの時代に大人、特に時代を築く先頭に立つ政界や教育界が責任感を忘れているからだ。自由や権利ばかりを強調して若者の味方、良き理解者を装う人たちは何か事があればイの一番に逃げ出すことを私たちは何度もみてきた。

 

 川柳「朝囀」 世の乱れ ざわつく政治 気もつかぬ  () 

 

 

 

 

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2016年3月23日 (水)

大人に踏みにじられる幼い命…保護懇願もむなし小学生

 人違いの万引き非行歴で推薦入試への道を断ち、男子中学生を自殺に追いやっていた広島の中学校の悲劇に続いて、今度は相模原市の児童相談所が親の虐待から保護を求めていた小6男児を救済し損ない、男児は虐待され続け、中学生になって自殺していたという悲劇が明らかになった。かわいそうだ。言葉もない。

 

 大人が子どもに寄り添っていない。学校は子どもを優しく育み、児童相談所は健全な養育環境に恵まれぬ子どもたちに救いの手を差しのべるのが仕事だ。その任に応えるべく一心に取り組んでいる人たちがほとんどだとは思うが、残念ながら、それができない人たちがいる。原因、理由はあるかもしれないが、子どもが命を断ってしまっては言い訳なんかできない。

 

 中学生は、小6の時から「保護してほしい」と何度も懇願し、親類に身を寄せて通学することもあったという。親が同意しなかったから保護は見送ったというが、親の同意よりまず男児をどう救うかが肝心だったじゃないか。同意がなくても職権保護の道がある。適切に判断する専門職じゃないか。定期人事で適当に配置換えされ、一定年月を過ごす腰掛仕事ではないだろう。

 

 広島の中学生は、「話しても先生は聞いてくれない」と冤罪非行のことを言い残して死んだ。廊下で立ち話の進路指導では生徒に寄り添っていたとは言えない。そんな大人社会では子どもの苦しみや悩みを聞き分けることはできない。「保護してほしい」―幼い子どもの訴えを「よほどのことだ」と感じ取ることができない大人はどうかしている。自ら命を断つ、どんなに悲しかったことか…。

 

 川柳「朝囀」言い訳が 若い命を 踏み付ける  ()

 

  

 

 

 

 

 

 

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2016年3月19日 (土)

教師、29回もテスト怠る…卒業生34人に補充授業だって

 卒業、新入学シーズンに泥水をあびせるような話だが、わが静岡県内の小学校でも教師が決められたテストもやらないで子どもたちの成績をつけていたことが判明した。どうしてそんなことが起きるのだろう。調査も確認も必要ない。即刻、教師を辞めさせるべきだ。

 

富士山の湧き水、柿田川の清流で有名な駿東郡清水町の町立小の男性教諭(30)は、国語、算数、理科、社会の4教科で年間約70回のテストをやらなければならないのに、そのうち29回分やらなかった。成績は子どもたちの授業への取り組み姿勢や授業ごとの発表回数などを基につけていたという。

 

学校の聞き取りに「授業に力を入れ過ぎて、テストをやる時間的な余裕がなかった」と答えているそうだ。「授業に力を入れ過ぎた」と言えば逃げられる…そういうずるさを心得ている。そんないい加減な姿勢で子どもたちの授業への取り組み姿勢なんか判断できるか。学校が教師の授業態度や取り組みに無頓着だからだ。

 

京都でも決められた回数だけテストを実施せず成績をつけていた小学6年生の男性担任教師(35)、大分県でも小学2年生担当の20歳代の男性教師がデタラメなテストの点数を学習連絡票に書いて保護者に渡していた。「よく調べれば他にもあるかもしれない」とブログに書いたが、その通りだった。

 

 清水町の小学校では担任クラスの子どもたち6年生34人に未実施だったテストの内容に沿って補充授業を実施し、成績も再点検するという。卒業式も終わったのに、小学校に引き戻され補充授業を受けさせられる。迷惑な話だ。まじめにやっている大部分の先生たちも耐えられないだろう。謝れば済むような話ではない。

 

川柳「朝囀」楽あれば 苦ありの教え 今、実感  (誠)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年3月14日 (月)

新党名は「民進党」だって…公募、世論調査の人気頼みだ

 

民主党と維新の党は、合流に向かう新党名を最終的に「民進党」と決めた。インターネット公募で集まった党名を通信社による世論調査で絞り込んだ。「国民とともに歩む政党」「幅広い国民と連携した政党」などと国民人気にすがろうとする思いがムキだしになった新党作りであり、政策や立党の精神が後回しにされたことへの批判が広がることは避けられそうにない。

 

 

 

政党の合流、新党結成なのに新しい党名でつまずいたのは、一方の維新の党に「民主党」という党名への強い拒否反応があったからだ。鳩山、菅、野田の3代にわたる民主党政権の不人気、その民主党が嫌で飛び出した維新の党グループの出戻りによる合流だから仕方がない。その不人気を回復するだけの自助努力を怠ってきた民主党だから維新の党を従わせることができなかった。

 

 

 

だから、政策や立党の精神、信念、理念のすり合わせなどを後回しで党名協議でエネルギーを消耗した。その挙げ句はなりふり構わず、国民の人気投票に頼り込んだ。最終決着も世論調査頼みだ。最初から最後まで国民人気にすがるという前時代的手法をためらいもなくやってのけた。国民をなりふり構わず人気投票の魔術の中に引きずり込もうとした。

 

 

 

「国民から嫌われている政党」と参院選ポスターに自虐的に書き込んだほど自信をなくしている民主党が野党勢力を糾合できるのか。いや、新党のリーダーシップさえ不安視される。生まれくるわが子に自分たちで名前も付けてやれない親じゃ、子どももあわれだ。それにも疑問を感じない政治集団にこの国の行く先を託すことができるのか。いや、託していいのか。甚だ心配だ。

 

 

 

川柳「朝囀」党名は AKB選挙と さも似たり (誠)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年3月12日 (土)

公募名、世論調査で絞り込み…新党名、最後までひと任せ

合流へ新党名を話し合っている民主党と維新の党は、最終案をインターネット公募で多数を占めた「立憲民主党」と「民進党」の2つに絞ったそうだ。そのうちのどっちにするかは、民間会社、それも2社による世論調査を行い、支持が多い方で決めるという。

 

「国民の声を聞きながら最終決定したい」(岡田克也代表)、「幅広い国民と連携して立憲主義を守る大きな渦をつくっていきたい」(赤松広隆最高顧問)、「民とともに進む政党」(江田憲司前維新代表)と、いずれも「国民」「国民」「民意」「民意」と囃し立て、国民を大事にする新党売り込みに躍起だ。それが悪いというわけではないが、モノには程度、加減がある。あまりに強調するとウソっぽくなる。

 

政党の合流、新党結成だからまず第一に政策のすり合わせをキチッとしてからにすべきだ。それも後回しで新しい党名をどうするかでつまずいている。その挙げ句は国民の人気投票に頼り込む…しかも、最終決着まで世論調査頼みだ。それを恥ずかしげもなくやっているのだから何をかいわんやである。国民をなりふり構わず人気投票のカラクリに引きずり込もうというだけじゃないか。

 

政党を立ち上げるとなれば政策はもちろん立党の精神、信念、理念があってのものだろう。それがことごとく後回しでは無責任新党と呼ぶしかない。国民もどう反応していいか分からない。政治を叱るべき政治ジャーナリズムが国民投票、世論人気投票による方法を「異例の手法」とひと言で片づけているのも情けない。立党の精神をキチッと国民に示せ! と喝破しても罰はあたるまい。

 

「国民から嫌われている政党」と参院選ポスターに書き込んだほど自信をなくしている民主党が野党勢力を糾合できるのか。いや、新党結成のリーダーシップさえ不安視される。今回の流れは無理もないだろうが、生まれくるわが子に自分たちで名前も付けてやれない親じゃ、子どももあわれだ。それくらいのことを真剣に考え声を発する政治家は党内にいないのか。

 

 

川柳「朝囀」生まれくる わが子の名づけ ひとまかせ (誠)

 

 

 

 

 

 

 

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2016年3月11日 (金)

かなしい記憶の風化…大震災、原発事故から5年

 東日本大震災、福島原発事故が起きてからきょう、丸5年になった。

「東日本大震災、大津波が起きたのはいつだったか覚えてますか?」。そう聞いても10人中半数は「2011年3月11日」と正しく答えられない。生身の人間だから仕方がないのかもしれないが、記憶の風化はかなしい。

 

 人が緊張感を持ち続けることができるのは3年という説がある。人によっては1年という話もある。直接、衝撃を受けた人たちは5年どころか30年、40年、いや一生忘れられないだろう。東日本大震災の被災地の人々はこの悲しみ、苦しみをそう易々と忘れることができない。愛する者を奪われ、ふるさとを奪われ、育て上げてきた幸せを奪われてしまったのだから当然だ。

 

 必死で立ち上がろうとする被災地の復興を多くの人々が支えた。老いも若きも寝食を忘れ、自分のことを後回しにして支えた。さまざまに批判される若者たちが別人のように汗と涙を流し、泥にまみれて奮闘した。被災地からは「ありがたい」「励まされた」「勇気をもらった」「この国の将来は心配ない」…そんな声が伝わり、理屈が先立つ頭でっかちな大人よりも被災地に勇気をもたらした。

 

 その懸命な支援にもかかわらず復興は思うに任せず、被災地の人々の苦闘が続いている。原発事故でふるさとを追われた人々をはじめ今なお17万人余が避難生活を余儀なくされている。長引く避難生活で体調悪化を招く人も多い。大震災、大津波、原発事故から助かったのに病を得て亡くなる震災関連死は岩手、宮城、福島の3県で3400人を超えた。いたましい。

 

避難生活の中で肉親や伴侶を亡くし独居生活に追い込まれる。孤立感を強め、健康を害し、人知れず亡くなっていく、いわゆる孤独死も3県で年に50人前後に上る。将来の生活が見通せず、先をはかなんで、自ら生涯を断った人は150人を超えた。残念でならない。避難所を転々とする暮らしは人々の心をズタズタに切り刻む…そのキズを和らげるよう私なりの励ましをおくり続けたい。

 

川柳「朝囀」歳月に つれて遠のく あの励まし  (誠) 

 

 

 

 

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2016年3月10日 (木)

学校じゃない、絶望と破滅の墓場だ…広島・府中町の中学校

 こんなむごい話があってたまるか。ここはもう学校じゃない。子どもの人格を育む教育の場じゃない。学校という顔をした絶望の墓場じゃないか。広島県府中町の中学校で起きた男子生徒(当時15歳)の進路指導をめぐっての自殺は、聞けば聞くほどあきれてしまう。怒りが込み上げてくる。

 

 男子生徒は高校進学をめぐって、他の生徒が犯した万引き行為を自分の非行歴にされ、推薦受験への道を断たれていた。別の生徒の行為だということが生徒指導会議で判明していたにもかかわらず、それはしっかりと修正されず、担任教師はこの男子生徒の行為として繰り返し指導に使ってきた。このため男子生徒は最後の三者面談となった昨年12月、登校せず自宅で自殺した。

 

 こともあろう、他人の非行歴をしっかり確かめもしないで善良な生徒の記録にしてしまう。それも受験、特に推薦受験の審査要項としては致命的な万引き行為だ。別の生徒の行為だったと分かってからも徹底して訂正、修正をしてなかった。子ども一人ひとりの人権に気配りをしているようでその実、肝心なところでは無頓着なのだということをはっきり物語っている。

 

 テレビのニュース画面で聞いた会見の席の町教育長の言葉に奇異なものを感じた。「尊い命が失われるというあってはならないことが起きた。不安や悲しみを感じた生徒や保護者、関係者に深くおわびを申し上げる」。後半の部分、わが子同然の生徒を失った悲しみ,悼みが感じられない。「おわびを申し上げる」…役人然とした上から目線そのものだ。人間味が感じられない。

 

 お決まりの第三者委員会とやらを設け経緯を調べるという。それが何になる。悲劇を繰り返さないためだというんですか?同じ教師たちが子どもと接するんでしょ?人間味のない教育長や教育委員さんが上に立つんでしょ?何が変わります?

 有為な前途ある少年はかえってきません。「勉強もできて、何でもがんばる自慢の息子でした」。ご両親の嘆きを黙って聞いてやってください。

 

川柳「朝囀」失望と 絶望ばかり 愛もなし  (誠)  

 

 

 

 

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2016年3月 9日 (水)

絶望の自殺だった中3男子…教育界は言い訳するな!

 こんなむごい話があってたまるか。ここはもう学校じゃない。子どもの人格を育む教育の場じゃない。学校という顔をした絶望の墓場じゃないか。広島県府中町の中学校で起きた男子生徒(当時15歳)の進路指導をめぐっての自殺は、聞けば聞くほどあきれてしまう。怒りが込み上げてくる。

 

 男子生徒は高校進学をめぐって、他の生徒が犯した万引き行為を自分の非行歴にされ、推薦受験への道を断たれていた。別の生徒の行為だということが生徒指導会議で判明していたにもかかわらず、それはしっかりと修正されず、担任教師はこの男子生徒の行為として繰り返し指導に使ってきた。このため男子生徒は最後の三者面談となった昨年12月、登校せず自宅で自殺した。

 

 こともあろう、他人の非行歴をしっかり確かめもしないで善良な生徒の記録にしてしまう。それも受験、特に推薦受験の審査要項としては致命的な万引き行為だ。別の生徒の行為だったと分かってからも徹底して訂正、修正をしてなかった。子ども一人ひとりの人権に気配りをしているようでその実、肝心なところでは無頓着なのだということをはっきり物語っている。

 

 テレビのニュース画面で聞いた会見の席の町教育長の言葉に奇異なものを感じた。「尊い命が失われるというあってはならないことが起きた。不安や悲しみを感じた生徒や保護者、関係者に深くおわびを申し上げる」。後半の部分、わが子同然の生徒を失った悲しみ,悼みが感じられない。「おわびを申し上げる」…役人然とした上から目線そのものだ。人間味が感じられない。

 

 お決まりの第三者委員会とやらを設け経緯を調べるという。それが何になる。悲劇を繰り返さないためだというんですか?同じ教師たちが子どもと接するんでしょ?人間味のない教育長や教育委員さんが上に立つんでしょ?何が変わります?

 有為な前途ある少年はかえってきません。「勉強もできて、何でもがんばる自慢の息子でした」。ご両親の嘆きを黙って聞いてやってください。

 

川柳「朝囀」失望と 絶望ばかり 愛もなし  (誠)  

 

 

 

 

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党名も自分で決められぬのに新党ですか?

 民主党と維新の党の合流ばなし、まだ本物らしく続けるつもりですか。

自民党、おおさか維新の会ならずとも、「選挙目当ての合流」、「野合談合」、「選挙互助会」と批判の声をあげたくなる。あまりに国民をみくびっている。

 自分たちの“ご都合”をふり回しているだけじゃないか。

 

人気取り、即“票集め”につながることはまことしやかに伝えながら、国民から首をかしげられるような話はことごとく隠し続けてやっている。それがおかしい。解党したり新党を立ち上げるという重大事態なんだから、真実を国民に明らかにして進めるべきだ。それが政治の常道、少なくとも政党の基本じゃないか。それを踏み付けにしてやっているんだから国民に信じてもらえるわけがない。

 

合流に向かって「民主」の名前を消して新党を作ろうという。でも、どんな名前にするかは国民のインターネット投票だのみだという。国民主体の政党にするんだなんて言わないでもらいたい。ただ、国民の人気が欲しいだけじゃないか。政党は政策はもちろん立党の精神、信念、理念があってのものだろう。談合に国民を言葉巧みに誘い込もうとしているだけじゃないか。

 

自ら「国民から嫌われている政党」を自虐的に名乗ろうとした民主党じゃなかったか。鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3政権が国民の信頼を勝ち得ず、小沢一郎氏率いる「マニフェスト選挙」への絶望を含め信頼は回復できないでいる。そこを松野維新の党は突いて解党合流を迫っている。新しい党名を世論にすがるとはあまりにも無責任だ。詭弁とさえ言っていいだろう。

 

新党結成に当たって解党による政党助成金の返納責務を交わすために1人だけ民主党に残し、最後に合流するという。ころんでもただでは起きない―そんな損得勘定が隠れていることも知らない国民が哀れだ。選挙のための大同団結、選挙互助会のイメージが際立っている。それを承知で大新聞が「政権交代への選択肢に―」「安倍政権への対立軸を打ち出せ―」と号令をかけている。何をかいわんやだ。

 

川柳「朝囀」党名も 自前で決めぬ 新党論 (誠)

 

 

 

 

 

 

 

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2016年3月 6日 (日)

失言に平気で「誤解」のルビふる政治家…みぐるしいぞ!

 言葉が手段、道具の政治だというのに言葉づかいを知らない政治家が多い。

実に嘆かわしい。特に国の先頭に立つ大臣クラスがお粗末だ。

つい最近、丸川珠代環境相が原発事故の除染の長期目標として示している年間追加被曝線量「1㍉シーベルト」について「何の科学的根拠もない」と講演で口走り、国会の予算委員会で批判にさらされた。

 

 発言を一言一句覚えているわけではないとしらばくれていたが、最終的には陳謝した。その謝罪の言葉がなっていない。「誤解を与える発言をしたならお詫び申し上げたい」と。誤解を与える発言をしたなら…お詫びするとは何だ。裏返せば「私は間違ったことはいっていない」「(私の講演を聞いていた聴衆が)誤解したんだ」「本当はお詫びする必要なんかない」。そう言ってるんじゃないか。

 

陳謝じゃなく、開き直っている。とんでもない。

民主党の当選7回のベテラン、中川正春元文部科学相も維新との合同代議士会でこんなあいさつをした。「(参院選に向かって)さあ、攻勢をかけよう。安倍首相を睡眠障害に追い込もう」と。金銭授受疑惑で辞任した甘利前経済再生相が睡眠障害で苦しんでいることを引き合いにした非礼発言であり、批判を浴びた。

 

 すると中川元文科相はやっぱり「誤解を招いたとすれば取り消したい」と謝罪した。「誤解されることは言ってはいない。(聞いていた報道陣が)誤解しただけだ。仕方ないから取り消すわ」と言ってるのだ。報道陣は誰ひとり誤解なんかしていない。「中川さんという人はひどい人だ。人としての慈しみの心もない」と正しく受け止めた。オレは大物なんだ―中川さん、あなたがそう誤解しただけだ。

 

 謝罪にもならないような言葉を投げ合い、それで了承したようなかっこうになっている政界の姿には嫌悪感すら覚える。もう、投票に行くのもやめようかと思う。

幸い、子どもたちが学校にいる時間帯でのことで直接、子どもの耳に入ることはないが、次代の担い手たちに顔向けができないだろう。勉強不足とか何とかいうより政界は不真面目過ぎる。国民をみくびるな。

 

 川柳「朝囀」 「たら、れば」の 中元歳暮の 詰め合わせ (誠) 

 

 

 

 

 

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2016年3月 1日 (火)

最後に届いた慈悲の声…最高裁が認知症列車事故で請求棄却

 9年前愛知県大府市の認知症の男性(当時91歳)が徘徊中、JR東海道線の駅構内で列車にはねられ死亡した事故で、JR東海が妻(当時85歳)に振り替え輸送などで生じた損害の賠償を求めていた訴訟は、1日、最高裁が「家族が認知症の男性を監督することが可能な状況ではなかった」とJR東海の訴えを棄却した。家族側の逆転勝訴が確定した。

 

男性は妻がちょっとまどろんでいる間に家を抜け出してJR駅構内で列車にはねられたが、JR東海は責任能力のない時は監督責務者が賠償するとの民法の原則に沿って妻と横浜に住む長男に720万円の損害賠償を求めた。一審の名古屋地裁は2人の監督責任を認め、JR側の請求通り720万円の支払いを命じた。しかし、妻と長男は家族の監督責務を問うて名古屋高裁に控訴した。

 

二審では同居していない長男の監督責任は免じたものの妻に請求の半額にあたる約360万円の支払いを命じた。減額されたとはいえ妻が簡単に払える金額ではない。止むにやまれぬ思いで上告した。一審の地裁は論外だが、二審の高裁も老女に介護責任を果たしていないと賠償を命じた裁判長は鬼だ。男性は妻がまどろんでいるちょっとの間に家を抜け出してしまった。

 

しかし、裁判長は「目を離して介護義務を怠った」「徘徊防止の出入り口のセンサーのスイッチを切っていた」と指摘した。年寄りが年寄りを介護する老老介護の実態も知らず、法律を杓子定規に当てはめ判決を下した。85歳という老女に「介護の対応が十分ではない」とはむごい。それが自分の母親であってもそう責め立てるだろうか。法の番人は同時に情けの人でなければならない。

 

ちょっと目を離したスキに出てしまう。老人の足とはいえ想像もつかぬほど遠くまで行ってしまう。それが徘徊だ。85歳という老女では無理もないのです。肉体も精神もズタズタにする。目を閉じた瞬間、たちまち睡魔におそわれてしまう。ちょっとまどろんだことがそんなに罪なことだろうか。最後の最後にきて最高裁の人情ある裁きに救われた。超高齢化社会が勝ち取った判決だ。

 

川柳「朝囀」苦しみの 末に届いた 慈悲の声  () 

 

 

 

 

 

 

 

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