女性候補増法に大新聞が賛成大合唱―私は大反対
国会や地方議会の女性議員を増やすため、選挙で候補者の数を出来るだけ男女均等にする法案が成立の見通しになり、大新聞がそろって「賛成」の声をあげている。
何でも反対する―と苦言が返ってきそうだが、私は「大反対」だ。だって、選挙は基本的人権の1つで、投票はもちろん立候補の自由も保障されている。自薦でも他薦でもふさわしい人が自由に立候補しているはずだ。
それを法律であらかじめ調整された数の男女が立候補して当落を競うというのでは立候補、選挙の自由が保障されているとは言えない。今だって政党によって立候補が事前調整されているのは問題だろう。それは政党による選挙の私物化、政治の私物化じゃないのだろうか。いつも民主主義の危機を強調し、選挙や政治の公正、公平を訴えている大新聞が賛成論をぶっているのは理解できない。
男女平等―という概念に毒されているのではないのか。国も地方も女性議員が少ないことは有権者の声を偏りなく代表しているとは言えないというが、数の平等性への誤った認識だ。女性議員の数が少なくてもその主張が普遍的で誰にも理解を得られるようなものなら多数の男性議員の支持だって得られる。特に地方議会は少数の女性議員でもイデオロギーを離れて対等に力を発揮できる。
女性議員が増えればより多様な声が議会に届き、柔軟でバランスのある政治が期待できるというが、それも一面的すぎる。確かに女性でなければという視点が期待できるが、男性議員だって柔軟でバランスのとれた思考ができる議員を選べば、多様性のある議論、政治を期待できる。ただ男女の数を同じにさえすれば政治が公正になるというのは思い込みに過ぎない。
女性にチャンスを与えるのは大変結構だ。諸外国で議員が女性活躍の場になっていることも評価する。だが、法律で闇雲に女性議員を増やそうというのは乱暴だ。その前にまず家庭や社会で「男女の平等」を確立することだ。
川柳「朝囀」本当は おんなの一票 目がくらみ (誠)
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