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2017年3月

2017年3月23日 (木)

裏切り証言、よくもスラスラと―籠池証言あきれるばかり

 

 教育者を名乗る策略家が小学校建設を思い立って、大物の名を冠した支援組織や融資・寄付集めの金策を企てたら、声を掛けられた人たちが見事に引っ掛かって、見る見るうちに大きな虚構が築かれていってしまった。いや、すんでのところで策略家の思い通りになるところだった。森友学園、籠池泰典理事長の国会での証人喚問を聞いた第一感だ。

 

安倍首相との直接の出会い場面は登場しなかったものの、昭恵夫人に講演をしてもらったことなどを通して親しくなり、国有地の借り受けについて助けてもらおうと携帯に電話を入れたりしていた。講演に見えた昭恵夫人から「安倍晋三からです―と封筒に入った100万円(の寄付)をいただいた」と証言した。夫人自ら人払いをして2人だけの理事長室でのやり取りだと説明した。

 

3種類の工事請負契約書を作ったり、借金だらけの中、借地状態での小学校設置申請だったことを認め、その中で政治的後押しを求めて多くの国会議員に働きかけをしたことを悪びれることなく、政治家の名をあげて証言した。国有地の払い下げが8億円も安くなったことには「びっくりした」と語り、「政治的関与があったのだと思う」と当然だと言わんばかりだ。

 

この段になって100万円の寄付バラシや喚問に応ずることにした理由については、小学校設置認可が困難な情勢に急転したことや自分に対する安倍首相の不快な個人発言などがあって、「もうこれ以上たえられない」という気持ちになったからだと説明した。利用しようとした権力者が厳しい姿勢を見せたら一転して反逆する…「日本国を支える人材を育てる」という教育観にはつながらない。

 

安倍首相からの100万円寄付を野党議員団にぶち上げたのは「ここには首相の思いが埋まっている。何とか計画をのこしてほしいという思いからだ」といった。その場その場に応じたつじつま合わせの話がよどみなく飛び出す。虚構が挫折したことにホッとする。信奉者がわが思いかなわずとみて豹変する。絶大な権力を負託された政治家は警戒してもし過ぎることはない。

 

川柳「朝囀」 やましさを 大きな声で 薮の中

2017年3月19日 (日)

これでスッキリ、東電と国の責任断罪―大津波予見していた

 

 ああ、これでいい。スッキリした。東電福島原発事故で避難生活を余儀なくされた住民ら137人が国と東電に約15億円の賠償を求めた訴訟で前橋地裁が、東電は大津波を予測できたのに対策を怠った、国は東電に必要な措置を命ずるべきを怠った―と双方の責任を認めて賠償を命じたからだ。

 

 大地震や大津波をめぐる訴訟は、ほとんどその災害や被災を予め予想できたかどうか、予見の可能性という袋小路にねじ込まれ、結局は「自然災害は予想ができない」というお決まりの壁に跳ね返されてきた。それを原道子裁判長は2002年に福島沖を含む海溝沿いでマグニチュード8級の津波地震が30年以内に20%の確率で起きるとした政府発表で東電も国も大津波の予見ができたと断じた。

 

東電は2008年にはその政府発表に基づいて津波の高さを試算しており、実際に予見していたからだと指摘、配電盤を高台に設置するのは容易なことなのに怠り、安全より経済を優先させたと非難、国も対策をしっかり取らせるべきなのに怠ったと断じた。国、政府が津波地震の発生を予想しながら、その対策をとるよう指示もしていないのは「著しく合理性を欠く」という指摘は明快だ。

 

その政府発表を「科学的知見として不十分だった」として予見の可能性を否定した東電と国の従来の逃げの姿勢を見逃しにしなかった裁判長の見識を高く評価したい。原発の安全神話を根底からくつがえし、6年たった今も7万人余の人々を慣れない避難生活に追い込んでいる、これだけの大災害なのにその責任を負うべき者がいない原発訴訟にやっと当たり前の断が下された。

 

国会や政府の事故調査委員会が事故当時の内閣の初期対応を「最低」「混乱の極み」と断じているのに強制起訴は「不起訴」で片づけられている。そんな非常識な司法が私たちの常識にかなうような姿に改められるキッカケになることを期待したい。政府の事故調査委員会の「原発被災は自然災害ではなく、人災だ」という調査報告書が息を吹き返した。

 

川柳「朝囀」6年で 人に優しい 声ひびき  ()

2017年3月17日 (金)

「首相100万円寄付」証言、真実か出まかせ、腹いせか

 

 「安倍首相から昭恵夫人を通して100万円の寄付を受けた」―「森友学園」の籠池泰典理事長が小学校の建設地を視察する野党4党代表に告げたひと言は衝撃で終わるのか。事実なら「関与があれば政治家も辞める」と言っていた安倍首相は辞職だ。籠池氏の出まかせなら、現職の国家のリーダーへの侮辱そのものだ。特に野党をおどらせる意図が感じられ許されない。

 

首相は、自らは寄付はしていない、昭恵夫人、事務所など第三者を通じても寄付していない…と言っており、今のところ真偽は分からない。籠池氏は、野党代表への説明の中で「昭恵夫人から、どうぞこれをお使いください。安倍晋三からですと手渡された」と明言しているものの、昭恵夫人は個人として寄付した可能性を事務所を通した確認に否定しており、薮の中だ。

 

首相の選挙区は山口県で「森友学園」は大阪府だから、仮に寄付が行われていたとしても選挙区外への寄付行為であり公職選挙法違反にはならない。ただ、国有地の払い下げや小学校の設置認可などをめぐって首相は完全否定していたから無傷では済まされない。真相究明は必要だ。23日の籠池氏の国会証人喚問でどこまで真相解明に迫れるかが注目される。

 

ただ、今回は政界への働きかけをしてきた籠池氏側が国有地の異常安値の払い下げや申請書の不明瞭がバレると同時に態度を反転し、政官界を相手に真実をバラそうという暴露戦略に出た異常な展開だ。野党も政局含みで渡りに船とばかりに前のめりになると思わぬところでハシゴをはずされることも考えられる。政界を手玉にかける分子の典型例かもしれない。

 

人間の信義や倫理を説く教育者を名乗る人物が、わが意がかなわなかったことを逆恨みして逆上する姿を見せつけられているように思えてならない。政界は自らに負託された力につけ込む勢力を常に警戒しなければならない。その力を軽んじたり、本業をないがしろにするそのスキがねらわれるということを真剣に考えないといけない。品格など考えもしない輩がウヨウヨいるんだ。

 

川柳「朝囀」池の水 籠ですくって むなしき日  ()

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月15日 (水)

稲田防衛相、記憶メロメロ…即刻お辞めなさい

 

 稲田朋美さん、防衛大臣、あなたは残念ですが、政治家として失格です。人間は誰も記憶違いはあります。ウソも言います。しかし、選挙で不特定多数の人々の負託を受けた政治家はもう個人ではなく、常に正義を貫く公人でなければならないんです。まして弁護士です。やることなすことすべて真実でなければならないんです。

あなたはその掟に丸っきり反しています。

 

 大臣を辞することは当然です。願わくは国会議員、弁護士もお辞めになった方がいいでしょう。国会答弁の訂正、謝罪、ひどいですね。「自分の記憶に基づいて答弁している。私の記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をしたという認識はない」。これじゃあ国会答弁は出まかせでも通ってしまいます。「記憶を確かめさせてください」となぜ答えなかったのですか。

 

 夫の代理人弁護士という通常の出廷ではなかったのだから、むしろ記憶に残っているはずだと考えるがどうだろう。記憶に残らないほどいい加減な姿勢で法廷に立っているということなのか。「弁護に立ったこともない」と言い切る答弁が多いだけに訂正や釈明が飛び出すことには不信感を抱かざるを得ない。追及が生ぬるければ虚偽答弁のままで済ませるつもりではなかったのか。

 

 弁護士という職歴が政治家、大臣になってから断言的発言をさせているのかもしれない。発言の場はほかならぬ国会だ。国権の最高機関であり、しかも後世に残る閣僚答弁が記憶違いの訂正なんてみっともない。稲田さんはわが国で女性宰相が誕生するとすればその先駆けとなる人だとささやかれたこともある。その人が国会で涙を流したり政治家の資質を問われていたんじゃお話にならない。

 

 川柳「朝囀」出世魚 イナダも肩を すぼめてる  ()

2017年3月11日 (土)

大震災から6年、犠牲者に思い馳せ祈る…「3・11」ひと括りはむごい

 

 東日本大震災から6年の11日、新聞各紙の朝刊1面には内閣府の広報文が一斉に掲載された。東日本大震災で犠牲となられた方々への追悼をお願いします―本日、政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」が行われます。皆様には、午後2時46分から1分間の黙とうをお願いいたします。そう書かれていた。もちろん、黙とうを捧げ犠牲者の冥福と1日も早い復興を祈った。

 

 2万人を超える人が犠牲になった。かけがいのない子やきょうだい、肉親を一瞬にして失った。なお12万人がわが家を失い、ふるさとを奪われ、避難生活を余儀なくされている。復興への道のりは厳しく、そして遠い。1人ひとりの尊い命、生涯、夢や希望が奪われた。私たちはいつからかその日を「3・11」とひと括りにして記念日のように伝えている。

 

 それでいいのだろうか。春、3月、生きていればランドセルを背負った新1年生、中学や高校、大学の門をくぐっていただろう。いや、高校や大学を卒業して社会人1年生への希望に胸をふくらませていただろう。その愛する者を奪った海はきょうも波ひとつない静かなたたずまいを見せているという。あの未曾有の大津波災害などなかったかのようにだ。

 

 その海を前に人々はあの日を思い起こしたことだろう。わが子や親を「なぜ助けられなかったんだ」といって悔やむ。でも、その海はふるさとへ思いをつなぐ大切なよすがだ。うらんでもはじまらない。多くの人が静かに手を合わせたことだろう。遠い三陸の地を思いやりながら、犠牲者や被災者ひとりひとりの無念、悲しみや苦しみに思いを馳せ、ていねいに祈りをささげた。

 

 私たちは被災地に寄り添い、この先もいっしょに歩いていかなければならない。

人々がふるさとへ帰れる日まで足もとを照らしてあげよう。時にはその足音を確かめるために震災地をたずねてみよう。

 

川柳「朝囀」震災を 記念日まがい 無神経  ()

 

 

2017年3月10日 (金)

森友学園、突如、小学校設立申請取り下げ…会見で教育論

 

 さんざん世の中を騒がせておいて、形勢が悪くなったらさっさと小学校の設立認可申請を取り下げた。お詫びひとつ言って引き下がるならまだしも、仰々しく記者会見を開いて教育論をくどくどとぶった。大阪の森友学園、籠池泰典理事長は一体どういう人なんだろう。教育、人づくりにたずさわるべきではない。

 

マイクやテレビカメラの前に立つと饒舌になり、奇想天外な教育論を展開し、「子どもたちのことを思ってできることをやり尽くしてきた。すべてを天の教え、天啓としてやってきた」―そう一気にしゃべりまくった。政界を巻き込んで、それも首相夫妻を巻き込んで未曾有のスキャンダルにまで転げ落ちてしまいそうだったのにその認識がまるでない。

 

英雄か功労者とでも思っているのだろうか。大阪府などに提出した小学校建設の工事請負契約書は虚偽の説明で施工業者に作成させたことが施工業者によってばらされてしまった。ウソで丸めて税金をわしづかみにし、それを子どもたちに道徳めいた教えを唱和させて薄め隠してしまう。子どもたちのための教育どころか、子どもたちを隠れ蓑にした営利事業ではないか。

 

騒ぎの最中に応援メールが10万通も寄せられたという。本当にそうだとすればどんな人たちが寄せたのだろう。偽りの契約書などを提出していることを知らなかったからだろうが、軽率な政治家が今回も何人もいた。政治に託された権力がいかに大きいか。そこに群がる不純な分子がいかに多いか。政治家はそのことを改めて心に刻んでほしい。本当の政治を忘れてスキが多過ぎるのだ。

 

川柳「朝囀」 おしまいは 被害者然と 教育論 ()

おんぶ視察議員やっと復興政務官辞任…長靴業界からかって

 

おんぶ視察議員がとうとう政務官を辞めたそうだ。務台俊介内閣府政務官、というより復興担当の政務官。長野2区、当選2回の自民党衆院議員で、昨年9月に台風被害の被災地、岩手県岩泉町を長靴を持たず視察、政府職員におんぶされて水たまりを渡ったことが「政治家としての資質に問題がある」として批判の集中砲火を浴びた。

 

そのまま復興担当の政務官をやらせていた政府もどうかしているが、本人もよくぞ厚かましく続投していたものだ。大いに反省していると言って頭を下げたのはウソで、今月8日のパーティーで「政府がたくさん長靴を備えるようになったらしい。長靴業界はだいぶもうかったじゃないか」と調子に乗ってしゃべった。国民に謝らなければならない話を笑いのタネにするなんてとんでもない。

 

党内外からも批判の声があがり、政務官を辞めることになった。こんな人物を国会議員として選んでいる選挙区の人々は大いに恥じるべきだ。政務官を辞めるだけじゃなく、国会議員を辞め、政界から身を引いてほしいと思わないか。次の選挙でも何もなかったようにこういう政治家を「おらがセンセイ」とか何とかいって投票するのだろうか。

 

折りしも東日本大震災から丸6年を迎え、なお多くの人たちが故郷を追われ避難生活に追いやられている。復興も思うようにはかどらない。復興担当の政治家がこのざまではさもあらんと思わざるを得ない。自らの恥を笑いのネタにするなんて政治家の資格がない。不真面目だ。こんな政治家のために捨て金をするほど国民は余裕はない。さっさとお笑いの世界へ転進した方がいい。

 

  川柳「朝囀」 国会に 長靴デモを かけますか (誠)

2017年3月 5日 (日)

「責任」ぼけまくった石原慎太郎会見―じゃあ、都民の責任は?

 

 責任は感じるものではなく、取るものだ。特に政治家は結果責任を免れることはできない。国会論戦での日本維新の会の片山虎之助氏が説いた明快な責任論だと思ってきた。しかし、豊洲市場をめぐる石原慎太郎元東京都知事の会見と質疑応答を聞いてすべてが分からなくなった。

 

 地下水、土壌の汚染問題は今の技術なら解決できるという専門家の意見が上がってきた。それを了として最終判断、裁可した。しかし解決せず、汚染問題が発生してしまった。裁決したのは私だからすべての責任は私にある。会見で石原氏はそう受け止めるようなことを言っていた。責任問題はそこまでで結論が出ていた。しかし、質疑に移るといつもの石原氏に戻って発言が乱れた。

 

 私だけの責任じゃない。東京都庁の各部、各局、司、司がそれぞれの役割に沿ってことを進めているのだから都庁全体に責任がある。事業を議決して来た都議会にも責任がある。私の一任を受けてきた当時の副知事らにも責任がある。そうまで発言が乱れた。各部局や副知事らの職務上の責任は当然だ。都議会の事業や予算に対する議決責任も重い。そこは石原氏の主張が丸きり間違いではない。

 

 ただ、問われているのはそういう行政組織の全体をおさめる、統治者としての責任なのだ。石原氏は報道陣の質問、追及に色をなし踏み違えた。小池百合子知事の責任に言及したのもそこだ。移転を延ばし、旧悪を掘り返そうとする小池戦略にがまんならないのだろう。政治効果につなげる姿勢は慎むべきだという意味の批判なら分かるが、苦し紛れに切り返す姿勢はみぐるしい。

 

 「部下に任せていた」「契約書には私のハンコが使われた」「報告が上がってこなかった」「聞いていない」「知らなかった」…こんな発言ばかりでは責任うんぬんどころではない。小池知事から「部下にお任せは最低だ」と切り返されるのも当然だろう。それにしてもこんな人を10年以上も知事に選んで、都政をお任せしてきた東京都民も最低だということになる。

 

 川柳「朝囀」「責任」は ほんに空気の ような首都  () 

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