大震災から6年、犠牲者に思い馳せ祈る…「3・11」ひと括りはむごい
東日本大震災から6年の11日、新聞各紙の朝刊1面には内閣府の広報文が一斉に掲載された。東日本大震災で犠牲となられた方々への追悼をお願いします―本日、政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」が行われます。皆様には、午後2時46分から1分間の黙とうをお願いいたします。そう書かれていた。もちろん、黙とうを捧げ犠牲者の冥福と1日も早い復興を祈った。
2万人を超える人が犠牲になった。かけがいのない子やきょうだい、肉親を一瞬にして失った。なお12万人がわが家を失い、ふるさとを奪われ、避難生活を余儀なくされている。復興への道のりは厳しく、そして遠い。1人ひとりの尊い命、生涯、夢や希望が奪われた。私たちはいつからかその日を「3・11」とひと括りにして記念日のように伝えている。
それでいいのだろうか。春、3月、生きていればランドセルを背負った新1年生、中学や高校、大学の門をくぐっていただろう。いや、高校や大学を卒業して社会人1年生への希望に胸をふくらませていただろう。その愛する者を奪った海はきょうも波ひとつない静かなたたずまいを見せているという。あの未曾有の大津波災害などなかったかのようにだ。
その海を前に人々はあの日を思い起こしたことだろう。わが子や親を「なぜ助けられなかったんだ」といって悔やむ。でも、その海はふるさとへ思いをつなぐ大切なよすがだ。うらんでもはじまらない。多くの人が静かに手を合わせたことだろう。遠い三陸の地を思いやりながら、犠牲者や被災者ひとりひとりの無念、悲しみや苦しみに思いを馳せ、ていねいに祈りをささげた。
私たちは被災地に寄り添い、この先もいっしょに歩いていかなければならない。
人々がふるさとへ帰れる日まで足もとを照らしてあげよう。時にはその足音を確かめるために震災地をたずねてみよう。
川柳「朝囀」震災を 記念日まがい 無神経 (誠)
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