「責任」ぼけまくった石原慎太郎会見―じゃあ、都民の責任は?
責任は感じるものではなく、取るものだ。特に政治家は結果責任を免れることはできない。国会論戦での日本維新の会の片山虎之助氏が説いた明快な責任論だと思ってきた。しかし、豊洲市場をめぐる石原慎太郎元東京都知事の会見と質疑応答を聞いてすべてが分からなくなった。
地下水、土壌の汚染問題は今の技術なら解決できるという専門家の意見が上がってきた。それを了として最終判断、裁可した。しかし解決せず、汚染問題が発生してしまった。裁決したのは私だからすべての責任は私にある。会見で石原氏はそう受け止めるようなことを言っていた。責任問題はそこまでで結論が出ていた。しかし、質疑に移るといつもの石原氏に戻って発言が乱れた。
私だけの責任じゃない。東京都庁の各部、各局、司、司がそれぞれの役割に沿ってことを進めているのだから都庁全体に責任がある。事業を議決して来た都議会にも責任がある。私の一任を受けてきた当時の副知事らにも責任がある。そうまで発言が乱れた。各部局や副知事らの職務上の責任は当然だ。都議会の事業や予算に対する議決責任も重い。そこは石原氏の主張が丸きり間違いではない。
ただ、問われているのはそういう行政組織の全体をおさめる、統治者としての責任なのだ。石原氏は報道陣の質問、追及に色をなし踏み違えた。小池百合子知事の責任に言及したのもそこだ。移転を延ばし、旧悪を掘り返そうとする小池戦略にがまんならないのだろう。政治効果につなげる姿勢は慎むべきだという意味の批判なら分かるが、苦し紛れに切り返す姿勢はみぐるしい。
「部下に任せていた」「契約書には私のハンコが使われた」「報告が上がってこなかった」「聞いていない」「知らなかった」…こんな発言ばかりでは責任うんぬんどころではない。小池知事から「部下にお任せは最低だ」と切り返されるのも当然だろう。それにしてもこんな人を10年以上も知事に選んで、都政をお任せしてきた東京都民も最低だということになる。
川柳「朝囀」「責任」は ほんに空気の ような首都 (誠)
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